鎮魂の灯り~語り継ぐ阪神・淡路震災20年

今年も残り少なくなりました。まさしく師走。何もかもが慌ただしく過ぎていくような気がします。今年も「神戸ルミナリエ」が15日まで開催され、毎日県下各地はもとより全国からの見物客で賑わっています。

先週、久しぶりにルミナリエ会場へ足を運びました。元町の大丸前から東遊園地まで人の波に押されながら歩きました。いつもながら点灯の瞬間にはあちらこちらで大きな歓声が聞こえてきます・・・

平成7(1995)年1月17日午前5時46分52秒、まるで地球が壊れてしまうかのような大きな揺れと轟音が私たちを襲いました。私は幸いにも避難所生活は免れたものの、通勤にかなりの時間がかかり、日常生活ではガスが使えず入浴がままならない不便な日々が数週間も続きました。余震に怯えながら眠れない夜を過ごし、連日新聞やテレビでは訃報や想定外の甚大な被害を見聞きしました。また見慣れた神戸の街並はすっかり別世界のようになってしまいました。

大震災の大きな傷跡を残しつつも日々着実に復興への道を歩み始めた平成7年12月、多くの犠牲者への鎮魂の意を込めるとともに、神戸の街と人々に大きな感動と勇気、希望を与えるために開催されたのが「神戸ルミナリエ」です。

今でも覚えています。初めて点灯されたルミナリエを見て、たくさんの人々が感涙したことを。あれから20年、平成14年12月、多くの人はどんな気持ちで点灯の瞬間を迎えたのでしょうか。

11月11日(火)「震災20年防災教育フォーラム」が神戸文化ホールを会場に開催されました。阪神・淡路大震災から20年目という節目の年に、高校生による東日本大震災被災地支援活動、震災・学校支援チーム(EARTH)の活動等、震災の教訓を継承した取り組みを発信するとともに、震災以降、兵庫県が推進してきた「兵庫の防災教育」の取り組みを総括し、新たな防災教育の展開について共通理解を図る目的で開催されました。

このフォーラムでは本校教員や芦高生が大活躍しました。まず司会を務めたのが、この夏NHK放送コンクール全国大会に出場した放送部3年次澤田さんと2年次宮崎くんでした。約1,400名の聴衆を前に、緊張しつつもさすが「芦高生」、つつがなく最後までしっかりと役割を果たしてくれました。また震災を綴ったある警察官の手記「語りかける目」を朗読し参加者の涙を誘いました。そして、EARTH隊員の要、本校淺堀主幹教諭の活動報告もあり、まさに「芦高ここにあり!」を誇示することができました。

フォーラム実行委員長はじめ関係課長、参加した多くの同僚や校長先生からもお褒めのことばをいただきました。こちらこそ、本校にこのような晴れの舞台を整えていただきましたことに感謝しています。

寒い中、「来年もルミナリエができるように100円募金をお願いします!」実行委員の皆さんが声を限りに募金を呼びかけていました。そして品数多くの公式グッズが販売されています。私は募金の趣旨が少し違うのではないかと思いましたが、ほんの気持ちだけ協力をしました。私たちが後世へ継承していかなければならないのは「ルミナリエ」そのものも大切ですが、「1.17を忘れない、伝える、備える、活かす」ということではないかと思いつつ会場を後にしました。

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校長 八木 基雄

台湾修学旅行結団式

12月11日(木)7限、体育館にて修学旅行の結団式を行いました。

結団式では、引率者の紹介、団長である校長先生からの挨拶の後、諸注意や最終確認などを行いました。

年次主任からの話しにあったように、感謝の気持ち忘れず芦高生の良さを出した修学旅行にしましょう。

旅行中の活動の様子やお知らせは、このオフィシャルブログを通して随時お伝えします。

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文責  2年次団

Time for Taiwan-心に響く近くて近い台湾

私はこれまで生徒や教師として様々な形態の修学旅行を体験してきました。時々、そのひとつひとつの思い出のかけらがよみがえってくることがあります。中学では、当時「夢の超特急」と称された初代新幹線「こだま号」に初めて乗り、その速度に驚いたり、高校では、クラス毎に民宿に泊まり、早朝地元の皆さんと地引き網を引いたりしたこと等々・・・。振り返ってみると、修学旅行はそれぞれの時代を映す鏡でもありました。
さて、芦高71期生の皆さんが旅行先に選んだのは「台湾」です。皆さんは、両国の絆を一層深める親善大使として、五感全てを駆使して、優れた伝統文化・歴史遺産、そして何よりも美しい自然を満喫してください。私も皆さんと同行して、貴重な時間と思い出を共有するのを楽しみにしています。
“Something is wonderful somewhere in Taiwan!”


校長 八木 基雄