校長室に所蔵されている活版印刷されたセピア色の「芦高十五年史」を紐解くと、「自治会各部の発展」と題して、文化部や運動部の活躍の様子が臨場感たっぷりに語られています。そして各部が機関誌なるものを発刊して、その評価と真価を堂々と世に問うています。
たとえば、昭和21年に創刊された文芸部の機関誌「花火」、同年4月創刊、伝統の鉄道研究部の会誌「パンタグラフ」(現在も発刊されています。)、昭和22年創刊の弁論部の機関雑誌「論窓」、そして、昭和23年創刊の自治会機関誌「芦笛」。中でも極めつけは、前述の「花火」とともに芦高文芸の黄金時代を形成したと評される純文芸誌「ほろばしゃ」で、創刊されたのは昭和24年のことです。このように昭和20年代の芦高は様々な機関誌の発刊ラッシュの時期であり、それぞれの作品がそれぞれの時代を鮮明に映し出し、まさに芦高の教育綱領「自治・自由・創造」を具現化したものだと言えます。しかし、「はやり廃れはいつの時代も世の常」のことばどおり、時を経るにつれて、時代背景もあり、隆盛を極めた機関誌の発刊は鳴りを潜めてしまいました。
今回はその機関誌の中で昭和23年の創刊以来、第68号を数える自治会機関誌「芦笛」を紹介します。先に紹介した「あしたづ」と同様に、巻頭言を掲載することにより紹介に代えます。
昭和23年の創刊から、この機関誌「芦笛」は第68号を数えます。まずは、誇り高き伝統の炎を絶やすことなく、「芦笛」という重みのある伝統の襷を繋ぐことができた自治会執行部の真摯な努力を讃えます。そして私は、この「芦笛」の巻頭を三度飾ることのできる巡り合わせに感謝しています。本校の前身である旧制県立芦屋中学の創立以来、「自治・自由・創造」という教育綱領のもと、この「芦笛」に代表される様々な自治会活動が、「芦高」を活性化する大きな牽引力となっているのは間違いありません。平成26年4月、「自治会が学校運営」という朝日新聞の学校紹介の見出しは決して大げさな表現ではありません。
さて、この「芦笛」には、「芦高生」たちが、この1年間に辿ってきた輝かしい青春とその足跡が余すことなく掲載されています。本誌を開くと、「芦高生」一人ひとりの脳裏には、自分だけにしかわからない思い出や「芦高生」として共有した楽しく貴重な時間が、きっと鮮やかに蘇ってくることでしょう。凛とした第66代会長の後を継いだ第67代会長の温厚な人柄や個性がよく反映されたこの「芦笛」が、目の前に広がる洋々たる前途に思いを馳せ、遠きイデアを育む「芦高生」の大切な心の拠り所になることを願っています。
結びに、今後も「芦高生」の皆さんが、この理想と希望の精舎をますます充実発展させてくれることを期待して発刊をお祝することばとします。
「芦笛」に「捨てゼリフ(3年次)」というコーナーがあります。「後輩へ一言」から抜粋してみます。71期生、72期生の芦高生、先輩からの熱いメッセージを素直に受け取りましょう。
◎できるだけたくさんのことに挑戦してみてください。
◎高校生活、楽しくなるかは自分次第!
◎これからも、しんどいこと、辛いこと、悔しいこととか思い通りに行かないことがいろいろあると思うけど、ちゃんと最後までやり切ることで得るものもあるから、あきらめずに頑張れ!
◎「やりたい」を実行すること。それが芦高の良さを生かせる3年間。
「心に響いた言葉」というコーナーで“One Direction”を挙げてくれた卒業生がありました。最後に「芦高への愛を五・七・五で叫ぶ」のテーマから、二首紹介します。
「芦高は 笑顔と笑いで あふれてる」
「芦高よ マジで最高 リスペクト」
旅立ちの日に-中学校の卒業証書授与式に想う-
〔神戸市立本山南中学校〕
今日はもうひとつ旬の話題をお知らせすることにします。
3月10日(火)、3月中旬とは思えない寒い朝、午後からは降雪の天気予報が出されていました。神戸市立中学校では一斉に卒業証書授与式が行われました。私は本山南中学校の卒業式に臨席しました。卒業生が大きな拍手の中退場するまで約2時間、終始厳粛に温かい式が挙行されました。お世話になった恩師、学校、そして伝統の継承者としてバトンを託す後輩たちへの温かいメッセージと感謝の気持ちが込められた送辞と答辞はほんとうに素晴らしかったです。卒業生全員が母校への愛を再認識している様子がよくわかりました。
校長先生は式辞で「夢を育てましょう」「心を育てましょう」「絆を育てましょう」と卒業生にお祝いのことばを送られ、最後に万感の思いを込めて全員で「旅立ちの日に」を合唱しました。(この歌は卒業式での定番で、名曲ですよね。)
〔芦屋市立精道中学校〕
3月11日(水)、今朝も底冷えがしました。午前9時半から、 「強さ・かしこさ・思いやり」をスローガンに掲げる芦屋市立精道中学校の卒業式でした。240名が校長先生から卒業証書を一人ずつ授与されました。答辞作成委員会のメンバーが作成した答辞を4名の代表がそれぞれの感情を込めて読みました。精道中が維持継承してきた伝統文化に新たな文化を吹き込むようにと後輩たちに送ったメッセージは迫力がありました。
校長先生は式辞の中で、1964年に日本で開催された東京オリンピックのマラソンランナー君原 健二選手の「私はよく(走るのを)止めたくなることがあるのです。でも、あの角まで、あの電柱まで、もう少し走ろうと思いながら走るのです。」ということばを引用されてお話をされました。校長先生の前に壁が立ちはだかったとき、「あの電柱までもう少し、あの電柱まで」ということばを唱えられ、自らを叱咤激励してこられたそうです。このことばに込められた「焦るな、ムリをするな」という教訓を卒業生の皆さんに託されました。そして校長先生の学校経営のスローガンである「強い人間」「かしこい人間」「思いやりのある人間」に成長してほしいという思いを託されました。
最後はやはりあの卒業式にぴったりの名曲、「旅立ちの日に」の合唱が体育館いっぱいに響き渡りました。
「意味のないいさかいに 泣いたあの時
心かよったうれしさに 抱き合った日よ」
それぞれの中学の卒業式で、勇気を翼にこめて、希望の風にのり、この広い大地に夢を託した卒業生の皆さん、芦高が皆さんのその熱い思いを真正面から受け止めます。そして、明日受検する皆さん、今夜はゆっくり眠って、最後は自分自身、そして3年間共に過ごしてきた仲間を信じてがんばりましょう。
校長 八木 基雄
(お知らせ)明日12日(木)全県で学力検査が実施されます。19日(木)合格者発表までの間、芦高オフィシャルブログを休みます。