4月23日(金)1時間目の初めに、2005年に起きたJR福知山線脱線事故の追悼行事が行われました。
吉野校長から放送で事故の概要が説明され、事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りし、職員・生徒で1分間の黙祷を捧げました。
<吉野校長の話(一部抜粋)>
「皆さん、おはようございます。校長の吉野です。1校時の時間をお借りして、福知山線脱線事故の追悼行事を行います。
今から16年前の平成17年(2005年)4月25日、午前9時18分頃、JR福知山線尼崎駅付近で列車が脱線し、遠足に向かっていた高校生を含む107名もの尊い命が奪われ、500名以上の方々が負傷されるという事故が起こりました。
この事故で犠牲になられた107名の中には、本校を卒業したばかりの16回生4名と13回生1名の卒業生5名、在校生の保護者2名の方々が含まれておりました。また、皆さんの身内の方々や知り合いの方々にも、この事故で亡くなられたり、未だに体や心の傷が癒えない方もおられるのではないかと思います。
犠牲となった5名の卒業生は、本校を卒業し、希望を持って志の実現に向けて歩んでいた矢先の事故に、さぞかし無念であったことでしょう。
せめて私たちは、志半ばで命を絶たれてしまった先輩たちのことを語り継ぎ、このような痛ましい事故が2度と起きないような社会を築くために行動するとともに、1日1日を精一杯生きていくことが、尊い犠牲に報いることではないでしょうか。
そこで、皆さんとともに、この事故で亡くなられた方々のご冥福を祈り、ただ今から黙祷を行いたいと思います。・・・ありがとうございました。以上で追悼行事を終わります。」
事故当時、本校で勤務されていた古川先生は、卒業生5人が犠牲になったこの事故を振り返り、その思いを生徒に伝え続けています。
事故で亡くなった16回生4名は、古川先生が担任、そして学年主任をしていた生徒たち。当時大学2年生、自分の目標に受けて1歩踏み出すタイミングの夢あふれる生徒たちでした。
朝、「いってきます。」と家を出たまま帰ってこない彼らの無念と、胸に残るずっと消えない悔しさや哀しみを思うと、今、生きている君たちに伝える義務があるように感じる、と話されます。
16年経ち、社会的には徐々に忘れられつつあります。本校でも、当時のことを知る人がほとんどいなくなり、古川先生も退職の年。これが最後の機会かもしれない、と34回生をある場所へ連れて行ってくれました。
事故当時は高校2年生で、古川先生が受け持っていた19回生が、命の大切さと先輩方の志を自分たちの手で後輩へ繋いでいこう、と贈ってくれた卒業記念碑の前。
そこに刻まれた『いのちの絆』という文字を見ながら、君たちも語り継いでいってほしいと話されました。