校長のつれづれブログ

令和4年度 第75回卒業証書授与式 式辞

 東風が吹き、梅の香りが春を運んでくる季節となりました。この佳き日に、兵庫県立伊丹高等学校第75回卒業証書授与式を挙行できますことは、私たち教職員にとりましても喜ばしい限りでございます。

 本日、ご多忙の中、ご臨席を賜りましたご来賓の皆様、そして保護者の皆様に、高いところからではございますが、御礼申し上げます。

 卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。保護者の皆様におかれましても、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。

 さて、令和元年度末に起こりました新型コロナウィルス感染拡大は、日本で初めての全国一斉休校を始め、学校現場に様々な混乱と傷跡を残し、今日に至っています。幸い、現在は第8派も収まり、マスク着用の緩和や5月には感染症法上の分類も五類へ移行されるということで、日本全体がポストコロナに向け動き始めたところでもございます。

 そんな中、卒業生のみなさんは1年生の4月から一斉休校や時差通学、家庭でのオンライン学習など、本来高校生活の出発点における「仲間づくり」や「クラスづくり」の機会を持てず、「高校生らしい日常」を経験できないまま1学期を過ごすことになりました。その後も様々な学校行事が中止や延期となりました。しかしながら、みなさんは、コロナ禍にあっても「何ができるか」、「何をすべきか」を考えながら3年間、困難に挑み続けてくれました。みなさんのその姿は、同様の状況下で入学してきた後輩たちの尊い標となりました。

 新型コロナウィルス感染拡大は、「新しい生活様式」という言葉に象徴されるように、私たちの日常を奪いました。これまで相手の表情や息づかいを感じ取って行ってきたコミュニケーションが、マスクやフェイスシールド、時には画面越しに行わなければならない。そこからこぼれ落ちた相手の真意を測りかねて、傷ついたり憤ったり。そんな、それまでの常識が常識でなくなるという経験に戸惑いも覚えました。しかしそれは同時に、いわゆる「かつての日常」の意義や大切さを改めて実感する経験ともなりました。

 みなさんが踏み出す未来は、ウィズコロナ、ポストコロナの名の下、今後も変化を続けていくことでしょう。それもかなりのスピードで。けれども本校での3年間の経験は、社会の変化にも柔軟に対応していく確かな「生きる力」として、みなさんの中に息づいていくものと確信しています。

 哲学者の三木清は、その著書である「人生論ノート」の「幸福」の章で、「……真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼は困難と闘うのである。幸福を武器にして闘うもののみがたおれてもなお幸福である」と述べています。また、続けて「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である」とも述べています。

 卒業生のみなさん。みなさんの姿は紛れもなく、周りのものたちを幸福にしてきました。保護者の皆様も、みなさんの背中を見つめてきた在校生のみなさんも、そして、ともに歩んだ友達、先生方も。それは、三木の言葉を借りれば、みなさん自身が「真の幸福」であった証しでもあります。

 みなさんの未来は明るい。と同時に混沌としてもいます。そこには今までに経験したことのないような新たな試練が待ち受けているでしょう。しかし、今までがそうであったように、「幸福」であるものは、その「幸福」を武器にして困難に向き合うことができます。自分を信じて、自分の足で、自分の人生を歩み続けてもらいたいと思います。

 最後になりましたが、お子様方を立派に育ててこられた保護者の皆様、また、優しく見守り支えてくださった地域の皆様、関係機関の皆様、本日ご臨席賜り本校の伝統の素晴らしさをお伝えいただいた25回生の諸先輩方、緑窓会及びPTAの皆様に感謝申し上げ、式辞といたします。

令和5年2月28日

兵庫県立伊丹高等学校長 愛川弘市 

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