我慢
核家族という言葉も最近聞かなくなった。あまりにも一般化し、取り立てて言う必要がなくなったからだろうか。核家族の対義語は大家族。2世代3世代の大家族は今やテレビの番組にもってこいの、貴重な存在となってしまった。
私の家は6人家族。いわゆる核家族ではあったが、当時でさえ、兄弟が4人いると“子だくさん”と言われていた。次男坊の私は長男や一人娘の姉、そして末っ子の弟ほどは大切にされず、期待もされず、かわいがられもせず(これは私のひがみだと思うが)、一番中途半端な立ち位置だった。衣服一つとってみても、私はほとんどが兄のお下がり。私が着古すので弟は新しい物を買ってもらう。姉は言うまでもない。物心ついた頃、自分だけずいぶん我慢をさせられているように感じていた。生活は当然だが裕福ではない。名曲“チキンライス”さながら、欲しいものがあっても口に出さず、親に気を遣っていた。
私は我慢を誰かから教えられたわけではない。生活の中で自然と身につけてきた。それはひがみと同時に、他者に対する気配りや思いやりも育ててくれていたように思う。