「置かれた場所で咲きなさい」”Bloom where you are planted.”
4月に行った行事の挨拶で、生徒たちにこの言葉を贈りました。その後2ヶ月程が経ちましたが、忘れずに覚えてくれているでしょうか。再度自問してみてください。「今、自分はこの場所で精一杯やろうとしているだろうか?」「何かや誰かのせいにして、花を咲かせることを忘れていないだろうか?」「周りの人も元気になるような取り組みをやっているだろうか?」答えがYESなら、続けてください。NOなら、今からでも大丈夫。始めましょう。

「置かれた場所には意味がある」とも伝えました。「場所」にはいろいろ当てはめることもできますが、学校で考えてみると…「自分が宝塚東高校に居る理由は何だろう?」「なぜ今の部活を入っているのか?」「今のクラスに自分が居る意味は何だろう?」 ……どうですか、意味や理由は自覚できていますか?「偶然に、たまたま」とか「なんとなく、雰囲気で」とか「自分で決めたんじゃないし」と、考えるのを止めて逃げてはいけません。
必ず意味はあります。踏ん張るためには、これが必要なんです。なければ、自分で作ればいいだけなんです。そしてその理由や意味が自分なりに見つかったり作り出せた時、花が咲くための土台は準備完了です!

水や肥料を施して、伸びて欲しい方向から日光を当てる。害虫にも気をつけて、時には添え木も。引っ張っても植物は伸びるものではありません。育つ方は精一杯、育てる方も大変や。

憧華祭(文化祭)を2週間後に控え、準備も忙しくなってきました。そんな中でも、校内の花を見るたびに、「置かれた場所で咲きなさい」思い浮かべてほしいものです。

事物が起きたり存在するには、必ず原因や理由があります。「花」は突然咲きません。花を咲かせる条件を整えましょう。

今回の投稿で紹介している校内の花々は、校務員さんが日々お世話をしてくれています。ありがとうございます!次に咲く夏の花々も、順調に育っていますよ。

存在の意味を突き詰めると、人生の意味に突き当たります。「私は何のために生きているのか?」逃げずに考えてきた大人は、必ずこの問いに、しかも青年時代に、格闘が始まっているはずです。逆に考えれば、この問いが頭の中を巡り始めた人は、もう子供ではありません。答えはあるのか?必ずあります。知識を深め、経験を積み、人に会い、読書をする中で、多くの人は見つけています。なければ、自分で創りだせばOK! ( 校長 )
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