北高 校長室から 123 神戸北高「淡河校舎」#2 淡河分校跡記念碑文

#1 の続き》

第1回を書いたあと、本業が忙しく、かなり時間が経ってしまいました。第2回です。

あのあと、北高に残っている文書・資料を探してみました。
いくつかの関連資料を見つけることができました。

その中で、今のところ最も貴重と思えるものは、昭和48年12月当時の淡河校舎建物配置図です。
電気料金関連の申請のための神戸市長宛て文書に添付されていました。

色の付いた文字などは、私が付け加えたものですが、画像だと文字が読みにくいかも知れないので、原画とPDF版も下に載せておきます。

敷地としては、現在の介護老人保健施設のそれとほぼ全く同じであるように思えます。
ただし、正門の位置は、現在はもう少し南(右側)であると思います。

前回 #1 で、「墓地は当時も今と同じ場所にあったのでは」などと書きましたが、県立有馬高校の関係者によると、当時は、今と違う場所にあったとのこと。
では、いったいどの辺りにあったのか。
まさか、校地の真ん中ではないでしょうから、別の隅でしょうか。

墓地の隣のテニスコートは、運動場より数m高くなっています。
これは昔のままと思われ、階段も非常に古く、当時のままと思われます。
しかし、肝心のテニスコートは荒れ果てたままで、全然使える状態ではありません。

このテニスコートのみが、当時のまま残っている建造物と思われるので、近いうちにもう一度訪れて観察して来ようと思っています。

本日、もう一件は、先日見てきた「淡河分校跡記念碑」の碑文です。

かなり見にくい状態ですが、「文字起こし」をしてみました。


當校ハ未曾有ノ敗戦ニヨリ其ノ戦禍ハ全土ニ及ヒ其ノ被害惨状ハ言語ニ絶シ郷土モ亦積年ノ疲弊ニ困憊シ荒寥タル惨状ヲ呈セリ
当時村政ノ要路ニアリシ先輩諸兄ハ齊シク荒廃セル郷土ノ復興ハ将ニ青年ノ力ニ俟ツヲ慮リ先ツ以テ在郷青年ノ教育ノ急務ナルヲ覚ル
時恰モ施行セラレシ新教育法ニ基キ昭和二十四年兵庫県立有馬高等学校淡河分校トシテ当地ニ設置セラレタリ爾来二十有七年ヲ閲シ幾多ノ試練ニ耐エ困難ヲ克服シ以テ只管斯道ノ振興ニ努メタリ
其ノ間にアツテ当校ヲ巣立チシ者千余ヲ算ス
皆齊シク其ノ所ヲ得以テ社会ニ貢献シアルヲ観ル
然リト雖モ時代ノ進展ハ目覚シク特ニ外辺ノ開發発展ハ著シク今日新タニ一大都邑ヲ形セリ
斯ノ如キ外辺ノ激変ハ当該地ニ新タニ高等学校設置ノ声頻リナル観ル
此処ニ是レト合シテ当校の新タナル飛躍ヲ欲セリ
時ニ昭和四十八年機熟スル処トナリ当校ハ新タニ設置セラレシ兵庫県立神戸北高等学校ト合シ永遠ニ継承セラル茲ニ当校ノ光輝アル歴史ヲ閉スルニアタリ其ノ概要ヲ刻シ記念トス矣
昭和五十年乙卯歳 同窓生一同
松下勝之文


いかがでしょうか。
昔の漢文調の文章ですが、よく読めば意味は分かります。

最後の校舎長であった松下勝之先生の、淡河校舎(淡河分校)に対する思いがよく伝わってきます。
前半では、戦後の混乱期に、県立有馬高校淡河分校が生まれた経緯が書かれています。

その後、日本が復興を遂げて発展していくなか、神戸北高校と合併し、淡河校舎は「永遠に継承」される…。
この文に、松下先生のお気持ちが最も強く表れていると私は思います。

同時に、松下先生をはじめ、淡河校舎の皆さんのお気持ちを忘れず、後生に伝えることは、私たち神戸北高校を預かる者の責務だと改めて感じています。

#3 に続く》

兵庫県立神戸北高等学校
校長 長澤 和弥