北高 校長室から 270 神戸北高「淡河校舎」#5 卒業記念樹

#4 の続き》

ぴったり1年も空いてしまいました。「淡河校舎」に関する投稿です。最初はコロナのためです。#4 を書いた直後に「臨時休校」が始まりました。でも、コロナが一旦落ち着いてからは、私の怠慢です。もちろん、ずっと再開したい気持ちはあったのですが…。

あまり言い訳はしないでおきましょう…。ある保護者の方は、淡河校舎 #1#4 の記事を見て、実際に淡河町にある記念碑に足を運ばれたと聞きました。大変ありがたいと同時に、(確かなことを書かないといけない)責任も感じます。

さて、#4 の記事を書いて以降、校内で「淡河校舎」についての昔の記述を何度か目にしました。しかし、その多くが間違ったものでした。

【間違い】淡河校舎は、神戸北高の「前身」である。→「前身」というと、それを受け継いでいる意味であり、そんな間柄は全くなかった。
【間違い】神戸北高の開校時、淡河校舎(元県立有馬高校の分校)を「吸収合併した」。→ 同じく、そんな関係ではなかった。

要するには、淡河校舎(元有馬高校の淡河分校)では、名前が変わっただけで、2年後の閉校舎まで、それまでと何の変化もなかったのです。それどころか、「淡河校舎」が存在した2年間、「本校」である神戸北高校と何の交流すらなかったようです。当時の北高生にすら、その存在さえ知られていなかったようです。

なんか、哀しい話ではありませんか。だから、私は、淡河校舎のことを正しく世間に知って欲しいのです。

この投稿では、2回の「淡河校舎卒業生」が北高に贈ってくれた卒業記念品(卒業記念樹)の行方について書きます。(ただし、載せる写真は、1年前に撮影したものです)

その前に、その2回の「淡河校舎卒業生」について: 以前にも書いたように、彼女たちは、「1回生」とは記録されていません。単に、「第1/2回(昭和48/49年度)卒業生」なのです。下のような流れであり、最後まで「別の学校」ですね。

昭和48年4月1日: 北高が開校し1回生が入学。有馬高校淡河分校は、北高の「淡河校舎」となる。このときの淡河校舎には1年生はおらず、2・3年生のみ在籍
昭和49年2月25日: 淡河校舎で最後から2回目の卒業式(第1回(昭和48年度)卒業式
昭和50年2月25日: 淡河校舎で最後の卒業式(第2回(昭和49年度)卒業式
昭和51年2月25日: 北高1回生の卒業式

それでは、まず、第1回卒業記念樹のポプラ百本です。しかし、結果を先に言うと、その存在は確認できませんでした。残るのは、石碑のみ。

2月9日追記: 3本だけ見つけました!(と思います…) 詳しくは #6

上の写真で、この石碑の位置が分かるでしょうか。テニスコートの南側、校地の端です。この写真で言うと、正面この先に専照寺があります。

肝心の「ポプラ百本」はどこに? 普通は、石碑は植樹の近くに建てますよね…?

石碑の周囲にちょうどこの頃に作業していた伐採された木々がありますが、これらはポプラではないと思います…。百本もの植樹なので、痕跡だけでも分かりそうなものですが。

石碑の背後に並んでいた木々なのか、それとも、下の写真(C棟の西)の木々だったのか…。ポプラの木はかなり大きくなると思うので、下の写真にあるような切り株ではなさそうですよね。

これらの写真を撮ったあと、事務室に残る校内の植生に関する記録も調べましたが、ポプラが百本も生えていた痕跡は見つかりませんでした。

石碑の周囲の切られた木々の写真も載せておきます。この投稿ではコメントをオンにしておきますので、どなたかポプラがお分かりの方、ご教示ください。因みに、この写真を撮って間もなく、切り倒された木々は整理され、石碑の周囲はすっかりきれいになっています。


次に、第2回卒業記念樹のツゲの木5本です。

これは現存します!

場所は、生徒出入口の(校舎に入ろうとするとき)すぐ右手側、図書室やC棟の西側です。上の写真の右側には、昼間には職員の車が並びます。また、「校訓碑」のすぐ隣です。

上の写真では一つの塊のように見えますが、実は、2本のツゲの木です。近くに固まって生えているのです。では、残りの3本は?

上の2枚の写真(左下が図書室側)では非常に分かりにくいと思いますが、残りの3本は、切られて切り株だけになっていました。

どんな事情だったのかは分かりませんが、大変残念です。上の写真に写っている車との位置関係からの憶測ですが、できるだけ多くの車が駐車できるように、「ドアが開けられるスペース」を確保するためだったのも知れませんね。もしそうだとしたら、ちょっと悲しいですね。

以上、撮影からちょうど1年となってしまいましたが、「淡河校舎」の続編でした。

再度: 今日の投稿の「第一回/第二回卒業記念樹」とは、北高の「1回生/2回生」が贈ったものではありません。淡河校舎の最後2回の家政科卒業生たちが贈ってくれたものなのです。

最後の校舎長であった松下先生は、昭和57年10月8日刊行の(北高)「創立10周年記念誌」に次のように書かれました。(抜粋。全体は #4 参照)
彼女等がそれぞれ卒業に当り、母校への思慕の念をこめて運動場の周辺に、玄関脇にと、ポプラ苗木と黄楊(つげ)の木を贈って出ましたが、さぞ、すくすくと生い育っていることでしょう。何時の日か、母校を尋ねる彼女等の縁(よすが)に大切にこれからも育ててやって下さい。

全然願われたとおりになっておらず、申し訳ない気持ちで一杯です。

#6 に続く》

兵庫県立神戸北高等学校
校長 長澤 和弥

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