北高 校長室から 273 神戸北高「淡河校舎」#7 テニスコート

#6 の続き》

ちょうど1年前の今日、建国記念の日、淡河校舎に関する投稿(#3#4)をしました。奇しくも1年後の今日も同じことをしています。

私は、#2 で書きました。「このテニスコートのみが、当時のまま残っている建造物と思われるので、近いうちにもう一度訪れて観察して来ようと思っています」と。そして、実際に行ってきました。去年の9月と11月と、2回訪れました。今日載せる写真は、その時に撮ったものです。

まずは遠景。淡河校舎跡地の南端に位置します。ご覧のように、跡地の地面より4~5mくらい高くなっています。当時の写真数枚にも写っていて、このテニスコートは、基本構造は昔のままだと思います。

#2 に載せた当時の校舎建物配置図にもはっきり「テニスコート」と書かれているので、当時もテニスコートであったことは間違いないのですが、淡河校舎の卒業アルバムの中に、このテニスコートを背景にしてテニスをしている(テニスコートが下の運動場にもあった?)写真があるのは謎です。

上の写真右端には、墓地が写っています。墓地なので、最初からこの位置にあったのだろうと思いきや、実はそうではなく、驚いたことに学校があった当時は、もっと中心部にあったそうです。

現在は、ここには介護老人保健施設が建っています(下の左の写真)。この写真の真ん中あたりから反対側を向いて撮影したのが、上の遠景です。

上の右の写真に写る階段は、学校があった当時のものだと思います。下の写真のように、どう見ても数十年前に作られたものでしょう。しかし、今ではご覧のようにフェンスが建てられ、この階段は「無用の長物」(無意味なもの)となっています。

フェンスが建てられたのは、廃校舎後、ここが県立淡河スポーツ研修センター(または長松寺スポーツ市民公園)であった時だと推測されます。この階段が使えないなら、どこからテニスコートに入るのか?ですが、向かって右手(墓地側)に緩やかなスロープがあるのです。下の写真がそれですが、この坂道も淡河校舎があった時から存在していたのかどうかは分かりません。

下は、肝心のテニスコートの現状です。面積は広くて、3コートあるように見えます。表面は荒れ果てていますが、これもスポーツ関係施設だった時の施行だと思います。ハードコートと言うのでしょうか、クレーではなく、人工の皮膜で覆われたコートだったようです。でも、その表面皮膜も剥がれかけています。

下のテニスコートの写真、前半2枚は9月(手前から撮影)、後半2枚は11月(奥から撮影)のものです。

このテニスコート西隣の墓地(下の写真)ですが、一般人用ではありません。跡地の北西隣に長松寺という寺があるのですが、その寺の歴代住職のお墓であるようです。最古のものは、かなり昔のもののようです。※ぽつんと一基離れて建っているお墓は、お寺関係のものではなさそうです。

その墓地の西隣、下の左の写真で見ると奥の林の中に、「淡河分校跡記念碑」が存在しています。

最後に: この跡地から「淡河本町」交差点までは、歩いてすぐです。「道の駅淡河」や「豊助饅頭」本舗などがあったりします。「淡河宿本陣跡」は、最近改装されて中に入れるし、「本陣カフェ」もあります。

淡河は非常に古い歴史がある土地で、「淡河城址」は、校舎跡地からも見えます。

最後の道路標識は、淡河本町交差点にあるものですが、「ちょっと変」なのが分かりますか?
※ヒントは、「三田」の漢字をよ~く見てみてください。「三木」の漢字と比べる、でもいいかも(笑)

#8 に続く》

兵庫県立神戸北高等学校
校長 長澤 和弥