北高 校長室から 279 神戸北高「淡河校舎」#10 生々しい資料
《 #9 の続き》
前号 #9 の最後で、「生々しく当時の様子が知れる別の資料」と書いた件です。#9 に写真も載せた、半世紀近く前のファイルの中にあったものです。
昭和48年、つまり、神戸北高校が開校した年の8月に、職員団体(労働組合)である兵庫県高等学校教職員組合(略称: 兵高教組)が集会の参加者用に作成した資料です。
ファイルの中にあったのはコピーでした。この兵高教組の集会に参加したのは、一般の教諭だったはずです。でも、ファイルの持ち主は、校長とまで言わないとしても、管理的な立場の人物だったと思われるので、参加した教員からコピーをもらったのでしょう。
「読んでみてください」と言うには文字数(ページ数)が多いのですが、まずは、私が文字起こしした文書をPDFにして載せます。続けて、原本をスキャナにかけたものも載せます。後者は書き込みもあり、読みにくいと思いますが。
新設校であった北高との統合が決まるまでの淡河分校職員室や地元とのことなどが生々しく書かれています。私が何より驚いたのは、新しくできる北高の淡河校舎となることが正式に決まったのは、北高開校(統合)の日のわずか3ヶ月ほど前であったことです。
この資料を読むと、行政(県)や学校経営側(管理職)が無理矢理に話を進めたかのような印象を受けますが、ここに書かれている主観による記述は、あくまで一方的なものであり、真実を知るには、両サイドから均しく話を聴く必要があります。
それは、読者の皆さまの賢明なご判断に委ねますが、いずれにしても、大変貴重な資料であることには変わりないと思います。
※ #7 で話題にした(第1回卒業記念樹である)ポプラの木ですが、あのあと、更に色々なことが分かりました。また書きます。
《 #11 に続く》
兵庫県立神戸北高等学校
校長 長澤 和弥