アルジェリアのW杯が終わった。
試合終了後、Webには以下のような記事が出ていた。
『W杯 アルジェリア「断食」に泣く GKエムボリ、負けてもマンオブザマッチ』
スポーツ報知7月2日(水)配信
決勝トーナメント1回戦 ドイツ2─1アルジェリア(6月30日・ベイラリオ競技場)
(略)アルジェリアはドイツ相手に善戦したが、延長で2点を失い力尽きた。前半はペースを握ったが、イスラム教徒の選手たちは日中は飲食できない「ラマダン(断食月)」中。後半30分を過ぎるとDFハリシェが足をつるなど限界に達していた。(略)
『W杯 断食月…アルジェリア限界、ピッチに倒れ込んだ選手たち』
産経新聞 7月1日(火)配信
(略)だが、体を張った守備と走力に任せた攻撃は、延長に入って限界に達した。先制点を奪われると、ラマダン(断食月)で日中は飲食ができない選手に試合をひっくり返す余力はなかった。「強豪相手に勝てるチャンスがあったのに、2ゴールを許してしまったのは残念」とエムボリ。しかし、大健闘には違いなかった。
この2つの記事を読むと、日本人記者はアルジェリアの敗因は「断食」にあり、と結論づけているかのようだ。
一方、アルジェリアの監督が前日の記者会見で発言したことをイギリスBBCは以下のように伝えている。
『アルジェリア代表ハリルホジッチ監督、ラマダンに関する質問に怒り』
(略)記者会見でも主な話題の1つになったラマダンだが、ハリルホジッチ監督はサッカーにのみ集中していることを強調。そして、ラマダンは「選手のプライベート」であると述べ、質問を投げかける記者に怒りをあらわにした。
「これはプライベートな事柄だ。それに関する質問は、尊敬と倫理が欠如している」、
「チームにイスラム教の選手がいることは初めてではない。私もイスラム教徒だ。する(断食)選手もいるだろう。だから、この質問は終わりにしたい。(会見中に)ラマダンの話はしない。もし質問するのであれば、私は退席する」
人間は、自分の常識から外れるものに対してどう考え、対処してしまうか、というわかりやすい例がここに隠されていると私は思っている。
「日中飲食できない人間=サッカーの試合で負ける」、という公式が当然と考える自分の常識。
その自分の常識から外れてしまうものに対して想像力が働かなければ、「断食をする人間は、普通ではない」という公式から前に進むことはできなくなる。
小さい頃から毎年繰り返しおこなっている断食も、本人にとっては宗教上必要とされる行為であり、1日5回の礼拝が日常であるように、断食もまた日常のひとつでなんら特別なものではない。
自分と違う他者を理解するということは、具体的にはこういうことなのだと思う。
去年の12月。全国高校ラグビー選手権大会に埼玉県立浦和高校が54年ぶりに出場し注目を浴びた。
今年も東大に現役で17名も合格している超進学公立高校の全国大会出場にマスコミも大きく騒いだ。まして、センター試験の3週間前という時期から大会はスタートするのである。
「マスコミの取り上げ方には腹が立つ。ラグビーの試合をするのに学校の偏差値や東大合格者の数なんて全く関係ない」
浦和高校関係者のそんな声がそのときわたしの耳に届いた。
アルジェリア代表監督のことばに、そのときの思いがふと心をよぎった。