江戸時代に各藩が設立し、主に武士の子弟に学問を教えていた学校を「藩学」と言います。村岡においても学校(藩学)がつくられ、教育がなされました。村岡藩がこの学校を「明倫館」と名付けたことから、本校同窓会はこの名前をいただき、「明倫会」となりました。
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村岡藩は、山名氏が慶長6年七味郡一円を領したことに始まり、寛永19年ここ尾白山(現在の御殿山)に陣屋を構える。藩祖豊国公以来歴代藩公は、文雅の道に造詣が深く、藩内学問を尊ぶ風が強かった。
天保3年藩学「明倫館」を開講し、子弟の教育にあたってきた。民間においても、早くより家塾があり、それに就いて教育をうけていた。
藩学「明倫館」は、明治2年6月、新たに校舎を村岡町殿町(現在村岡JA、全但バス殿町バス停付近)に建築し、「日新館」と改称して、充実強化がはかられた。「日新館」の名称は、やがて村岡に小学校が開設されるにおよび、一時期学校名として残るに至る。(創立30周年記念誌より)