村高物語(創立80周年に向けて)4~青年教育の歩み(村岡高校の前史)②~

<青年学校の設立>

〇国の動き〇

昭和10年 「青年学校令」   補習学校および青年訓練所が一本化

昭和14年 「改正青年学校令」 満12歳を超え満19歳に至る男子は義務就学

昭和18年 4月一斉に専任校長をおき、指導体制の強化

昭和20年 8月太平洋戦争終結

      青年学校は臨時措置として軍事教練科を廃止し、他は従前どおり継続

昭和21年 新憲法発布

昭和22年 4月「新学制」実施 6・3制(9年間)の義務教育開始

<新制高等学校発足>

〇国の動き〇

昭和23年 4月旧制中学が新制高等学校へ

      末 旧青年学校は廃校

*旧青年学校という、働きながら学ぶ向学心に燃える若者たちの学び場がなくなった。そのため、新制高等学校に勤労青年のための定時制課程および通信教育部が設置される。 

〇当地域の動き〇

敗戦の混乱がなお厳しい状態で、経済的にも低位であったが、子供の教育に対する地域の関心は極めて高かった。そのため、時の関係者の努力によって、兎塚村と村岡町に八鹿高校の分校が、小代村と射添村には浜坂高校の分校が、それぞれ設立認可されるに至る。

昭和23年 農業課程として設立認可

昭和24年 4月 兵庫県立八鹿高等学校村岡分校開校・兎塚分校開校