Study Tour in Tokyo
アメリカ研修の代替として、2月2~4日に東京研修を実施した。研修には、2年生の国際理学科から32名の生徒が参加した。時間的に非常にタイトなスケジュールであったが、疲れよりも充足感の方が勝る研修であった。
1日目【プレゼンの日】
東京大学の駒場Ⅱキャンパスと本郷キャンパスの両方を訪れた。東京大学生産技術研究所の大島まり教授からは、医療の分野で工学の果たす役割の例を紹介いただいた。科学的に問うことはできるが、科学だけでは答えることができない「トランスサイエンス的問題」について、自分事と捉えて文理を越えて取り組むことの重要性を学んだ。その後、本郷キャンパスに移動し、東京大学・大学院に所属する学生の前で課題研究の英語プレゼンを行い、貴重なアドバイスをいただいた。また、工学系研究科の齋藤英治教授のラボツアーでは、普段目にすることのできない数億円するという計測機器を見ることができた。最後のディスカッションでは、齋藤教授をはじめ、齊藤研究室に所属する方々から、「物事をレイヤーに分けて考える」「大学では思考のプロセスを学ぶ」「研究とは絵を描く作業に似ている」「一流のものに触れると考え方が変わる」など、経験に裏打ちされた示唆に富むアイデアに触れることができた。
2日目【授業の日】
The American School in Japan (ASIJ)は日本でありながら異国であった。1限と2限は、Entrepreneurship (起業家精神)という授業をとっているASIJの生徒から、日本の高校生のスポーツ意識についてインタビューを受けた。最初はぎこちなく受け答えしていたが、ASIJの生徒が上手に話を聞いてくれたおかげで、自分の言いたいことが言えるようになった。最初に感じたことは、「ASIJの生徒はよく聞いてくれる」ということだ。ASIJの精神である ”Know, Care, Value (知って、尊重して、大切にする)” を感じることができた。その後、Art, Chemistry, Capitalism and Wealthといった授業に参加させてもらった。Humanitiesの授業では、英語の先生と社会学の先生がタイアップし、あるコメディアンの自伝をテキストとし、映像を交えながらアパルトヘイトについての授業が行われていた。先生が「弾圧に対する暴力は肯定されるか?」といった問いを投げかけ、生徒一人一人が自分の考えをワークシート入力し、その考えを皆の前で発表する様子が印象的であった。それは「発表」というよりも、先生との「対話」に近かったかもしれない。
3日目【議論の日】
再びASIJに赴き、東京大学やStanford大学に所属する方々をメンターとして、グループワークを行った。お題は”What is a fact which has been hidden or undermined in common sense?” 日本人が「当たり前」と思っていることに、様々なデータを提示しながら「実はそうではない」という主張をしようというものだ。テーマを決めるところが大変であったが、メンターの方と英語でコミュニケーションをとりながら、「日本人はシャイである」「日本人は米を食べなくなった」「電気自動車はガソリン車よりもエコロジーである」といったテーマについてデータを見せながら発表することができた(たった2時間で!)。ここでも、メンターの方に丁寧にじっくりと話を聞いてもらうという体験をすることができた。
この3日間で一人一人が様々なことを考えたことだろう。アメリカ研修の「代替」ということで、最初はあまり気が乗らなかった、と事後の感想文には正直に書かれていた。しかし、「自ら一歩を踏み出すことで新しい景色が見えた」ということはほとんどの生徒が共通して感じたことではないか。私たちはまだまだ「井の中の蛙」で外の世界をほとんど知らない(同じ日本の中なのに!)ということが分かっただけでも価値があったのではないだろうか。この3日間の経験をもとに、学習に励み、より広い世界で羽ばたいて欲しいと切に願う。最後になりましたが、この研修に参画して下さった一般社団法人Glocal Academy代表の岡本尚也様をはじめ、この研修を支えていただきました皆様に深くお礼を申し上げます。ありがとうございました。
生徒感想(抜粋)
○ 私がこの研修を通して学んだことは、コミュニケーションの大切さです。ASIJのにおいて当然見知らぬ人と話すことになるわけですが、英語の上手、下手以前に根本的なコミュニケーション能力の大切さに気付かされました。私は元来人と話すことが得意ではないので、そういったことを避けてきた節があるのですが、今後はもう少し積極的に他人と関わっていきたいと思います。また、英語についても私は今まで受験のために勉強してきました。しかし、ASIJにおいて話したいことがあるのに言葉がうまく出ず、非常にもどかしい思いをしました。思うに、私は英語が誰かと話すための言語であるということを失念していたのかもしれません。「聞ける」「話せる」英語を目指していきます。また、授業にも衝撃を受けました。我々のように授業時間中ひたすら机に向かい先生の話を聞いているのではなく、クラスメイトと話し合い、自分で考えていました。正直真に「賢い」有能な人材を育てることができるシステムだと思いました。とはいえ、共通テストといった受験の枠組みが変わらない以上、授業の仕組みを変えることは非常に難しいだろうと思います。そこで、私個人として、何よりも考えることに重点を置いて授業を受けていこうと思います。なぜそうなるのか、己の中に生まれる疑問を大事にしていきます。
○ 事前研修を休んでいた僕にとって、今回の研修がどのようなものなのかを想像することはむずかしかったからだと思うけど、ぶっちゃけ勉強とか研究とかは微塵も考えていなくて、特にASIJの活動は英語が苦手な僕にとって苦痛なところになるんだろうなぁと、今考えればバカなことを思っていました。研修を終えた今では、これらの考えは全部バカだなぁと心底思います。感受性があまり豊かでない僕が、人生で一番自分の考えが変わった体験だったと思うからです。(中略)そして2・3日目のASIJでは、たぶん自分の考えが180°変わったと思います。最初のインタビューで英語をしゃべったけれども、とてもぎこちなく感じられて、正直下手というより自信がなかったと思います。自由時間になって、アメリカで流行っていて僕も5年やっているゲームの話をしてみようと思いしてみました。すると、皆知っていて、そのゲームについて話がとても盛り上がってしまいました。そして、話を終えた後「なんかすらすら英語がでたな~」と思いました。その後、一つのことに気付いてしまったのです。僕が英語をしゃべられなかったのは英語ができないんじゃなくて「話す気がなかった」ということに。その後は、難しいことは考えず、ただコミュニケーションをとることに専念しました。するとスラスラと言えるようになり、友達からも「お前がこんなに話せるとは思わなかった」と言われました。この3日を通して、本当に考えが変わったというか、変わったというより「広がった」ような気がします。視野が広がったことで「選択肢」が増えた気がします。
○ 行く前は正直あまり楽しくなさそう、絶対ついていけないし、私大丈夫かな?と思っていた。でも、本当に行ってよかった。想像の何百倍楽しくて、もう数えきれないほどの刺激を受けて、この3日間で考え方が変わったし、少し成長した気がする。1日目は東大で発表をしたり、齊藤先生の話を聞いたりした。私は「引き返すことも重要」と言う言葉にとても衝撃を受けた。引き返すことはよくないことで、ちょっと違うと思ってもそのまま行くか、その場でどうにかましな方へ行くしかないと思っていた。確かに引き返すのはとても勇気のいることだけど、大切なことだと話を聞いて思った。将来について不安に感じたり、私はどういう人になりたいのか悩んだりすることがここ1年多かったので、この言葉を胸にしまって、自分らしく、まだ見つかっていないけど私の持っている何かを行かせられるような人生にしたいと思った。(中略)この3日間を通して、自分の意見を持つこと、社会のいろんなことを意識すること、いろんな考え持ついろんな人がいると知ることがとても大切だと感じた。今日から、この学んだことを胸に勉強を頑張って、沢山のことにアンテナを張って、自分の頭で考えて生活していこうと思う。いい経験をありがとうございました。
〇 本当なら我々はアメリカに行っていたはずだった。が、去年に引き続いて叶わなかった。残念でしかならないものだった。その代替として企画された東京研修であるが、今までの人生の中でもベスト5に入る、充実した3日間であった。
まず1つ目に、いかに自分の世界が狭いかということだ。日常置かれている環境から、特にこの研修においては大きな違いのある環境に置かれるとやはり未知の世界を知ることができた。自分は趣味があって、他人に良いなと言われることも少なくないが、その分知ろうとする世界も狭まってしまうだろう、何もしなければ。今回の研修で言えば、齋藤研究室で物理学に触れることができたし、ASIJでの生活も全てがその契機となったものだった。一方で、鉄道という好きなものがある自分は、入り口が容易に決めやすくて、世界も広げやすいような気も、齋藤先生の話から感じられた。好きという気持ちを大切にしたい。
次に2つ目は、いかに自分の普段の思考が幼稚であるかということである。これはASIJで強く感じられた。例えば、授業では生徒が主体的に説明や議論、質問をしていて、しかもそこには殆ど途切れがない。日常的に自分がYesかNoかを、理由をつけて考えているのである。そこにどっちでもいいという選択肢は原則存在しえないのが、私にはどうやら新鮮すぎて、もしくは意識していた「つもり」になっていたらしい。明日から論理的に思考して、積極的に自らを主張するなんていうきれいごとは実行するつもりも言うつもりもないが、ASIJの子たちを真似するように明日から生きてみても良いと思った。
最後に3つ目だが、彼ら(ASIJの生徒や岡本先生など)に劣等感を抱く必要はないと思った。というのも、別に彼らは優越感を得たいわけでもなければ、むしろ等しく交流したいと思っているはずだから(言語の特徴、言動を鑑みるに)、できないことを負い目に感じたり、分からないことを隠したりする必要はないのだと感じて、彼らと同じように自信を持つこと、これはかなり大事だと思った。
世界についていくためには、自分が今から変わるしかないようである。