校長通信 第54号

「空気を読む脳」より

脳科学者、医学博士、認知科学者の中野信子さんは、人気テレビ番組「世界一受けたい授業」にも出演されています。その著書「空気を読む脳」から、これからの子ども世代に必要な力について書かれた一節を、要約して紹介したいと思います。

子どもにやる気を出させたいとき、部下に自発的に頑張ってほしい時、自身を鼓舞したいとき等々、自分も含めて誰かのモチベーションをあげたい、という場面には頻繁に遭遇します。多くの人はそんなとき、目に見える報酬を用意して、モチベーションアップにつなげようとするのではないでしょうか?

スタンフォード大学の研究では、子どもに絵を好きになってもらうために、良かれと思ってごほうびを約束したことが、かえって逆効果になるという結果が出ています。大人に対する別の研究では、公園でのごみ拾いに、謝礼として多めの金額を提示されたグループは、ごくわずかな報酬額を提示されたグループに比べて、楽しさの度合いの平均値が大幅に低くなりました。報酬の存在のために、取り組んでいることを嫌なこととして認識してしまい、逆に、わずかな金額でも自分が一生懸命になっているということは、この課題は楽しい課題に違いないと人間は考えるそうです。

それでは、報酬を与えるのはどんな課題のときがよく、どんな課題のときには報酬を与えてはいけなのでしょうか?

この問いに答えを与えるのが、有名なドゥンカーのロウソク問題です。詳細は省略しますが、創造性が必要な課題を解くときには、報酬を与えた方が、答えをひらめくのに時間がかかり、単純作業のときには、報酬を与えられた方が圧倒的に早く、課題をやり遂げるという結果でした。つまり、単純ルールとわかりやすいゴールの見えている短期的な課題に限れば、外的動機づけ(報酬)が有効だと結論づけられます。

ところで、私たちが経験してきて、子どもたちにも学習させようとしているのは、こうした単純な課題に対する応答の速さ、ではないでしょうか。

人的資源を大量に利用し、大量生産が利益に結びついた時代には、単純な課題をどれだけ早くこなすことができるかが勝負でした。ゆえにそうした人材が求められ、報酬をあげることで生産性そのものもそれに比例して向上したのです。

しかし、現代はどうでしょうか?われわれやわれわれの子ども世代が取り組まなくてはならないのは、正解やゴールのない問題ばかりです。むしろ、単純作業はどんどん機械に勝てなくなっていくのですから、そんなところを鍛えても全くの無駄になってしまうであろうことが容易に予測できます。

これからの教育を考えるヒントになる考え方だと思います。

校長通信 第53号

次期教育課程を編成するにあたって

令和4年度からの新学習指導要領の施行にあわせて、本校でも新しい教育課程を本格的に考えなければならない時期になりました。自分の科や教科のことだけでなく、新しい教育課程をそれぞれの科の3年間を見通して編成することが大切です。そこで、どのような方針で編成したらよいのかについて述べていきます。

ご存知のように、新学習指導要領では、次の3つの観点から「社会に開かれた教育課程」を編成するよう求めています。

(1)学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を社会と共有していくこと。

(2)自分の人生を切り拓いていくための資質・能力を、教育課程に明確化すること。

(3)学校内に閉じずに、そのめざすところを社会と共有・連携しながら実現させること。

そして、本校の教育目標は、次の2つです。

(1)社会の変化に対応できる・自立して生きる「スペシャリスト」の育成

(2)ふるさとを愛し、他者と協働できる「地域を担う人財」の育成

そのために、生徒に身につけさせるべき資質・能力等は、次の4つです。

(1)専門的知識・技能と、常に新しいことを取り入れ挑戦する姿勢

(2)自尊心と、自立して自分の人生を切り拓いていこうとする姿勢

(3)ふるさとを愛する心

(4)他者と協働して地域の様々な問題に取り組む姿勢とコミュニケーション能力

ここから、次期教育課程の編成の方針を明らかにします。

(1)専門教科では、1年から3年までそれぞれの段階で、生徒が授業で身につけた知識や技能を活用して、地域で活動することを前提とした科目の配列を考える。

(2)課題研究等では、複数の科が協働した横断的な研究ができるようにする。

(3)資格を取ることのみを目標とせず、生徒の関心意欲を高め、主体的に学習に取り組める科目の配列を考える。

(4)特に普通教科は学力の基礎の育成に関わるという観点から、生徒につけさせ力を明確化し、教育課程に反映させる。

(5)生徒の進路希望の実態を反映した、選択科目を設置する。

(6)生徒全員がタブレットを持つという前提で教育課程を編成する。

10月6日には教育課程委員会が開かれますが、ここに書いたことを共通理解するところから話をすすめることができればよいと思います。

校長通信 第52号

学校デジタル化への備え

菅総理大臣は就任直後から、デジタル庁の新設を表明しています。これから行政のデジタル化が急速に進んでいくと思われます。健康保険証や運転免許証がマイナンバーカードに統合されたり、印鑑がいらなくなったりしそうですね。

一方、文部科学省はGIGAスクール構想を立ち上げ、それに基づく学びのイノベーション事業により、ネットワークの整備や大型提示装置、タブレットなどの学校ICT環境が整備されました。コロナ禍のなか、オンラインでの家庭学習等への活用の意味もありますが、ICT機器を活用したアクティブ・ラーニングの推進や、デジタル化した世の中を主体的に生きていける子どもたちの育成のためにも、避けては通れない道だと思います。この前、職員朝礼でもお話ししましたが、学校として、また一人の教員として、早急に準備や対応していかなければならいことを述べていきます。

令和4年度からはBYOD(Bring Your Own Device)で授業を行います。つまり、生徒は自身が買ったタブレットを学校に持ってきて、校内のネットワークにつなぎ授業をうけることになります。タブレットは個人持ちですが、Office365やGoogle Classroomを生徒全員が使うことができます。問題なのは、数万円もするタブレットを生徒一人一人に購入させるのですから、それに常時活用した授業を行う必要があることです。古典的にはネット検索や問題演習、アクティブ・ラーニングとしてはグループ討議・作業で活用したり、生徒個人やグループが作成した文書や答えをスクリーンに映して発表させるといったところです。将来的にはデジタル教科書が導入されると思いますが、今は大変高価なので、すべての科目でデジタル教科書を使用できるかはわかりません。いずれにしても今から各先生で活用方法を考えておいてください。猶予はあと1年半もありません。

また、せっかく先生も生徒も慣れてきたClassiですが、年度末で期限が切れるので、Google Classroomに移行しなければなりません。生徒への一斉連絡や双方向のコミュニケーション、アンケート、課題の提示、課題の提出、動画の配信等の機能がありますが、これも今から慣れておかないとだめです。こちらは来年度すぐに使わなければならないので、本当に喫緊の課題です。ダミーのIDを教育企画課からもらっていますが、使えるようになれば案内します。少し待ってくださいね。

思えば、私が初めて電子計算機を見たのは高校の時でした。実際に使い始めたのは大学で、端末からFortranを動かしていました。教員になってからはパソコン(やっと個人で買える値段になったのでPersonal Computer)で物理現象のシミュレーションを生徒に見せたり、今はなき桐というデータベースも使っていました。その頃はCUIで動画は扱えませんでしたね。それがインターネットでつながり(しかもワイヤレスで)通信や共同作業が世界規模でできるようになるとは、思いもよりませんでした。隔世の感があります。

2学期始業式 式辞

皆さんおはようございます。短い夏休みでしたが有意義に過ごせましたか。皆さんの顔を見ながら話をしたいと思うのですが、2学期の始業式も放送で行うことになりました。今日はSNSで話題になっている『安心して感染したい』という漫画について話をします。ドキっとするタイトルですが、新型コロナウイルスに感染した人に対して、私たちが抱いてしまいかねない本音が描かれています。

「狭い町で噂になるから1人目の感染者にだけは絶対になりたくないわ~」

「感染したってわかったら、この町ん中ですぐに村八分にされんぞ~」

「感染なんかしたら『あの人』って後ろ指さされちゃう。町中どこでも」

「周りから陰口たたかれて、この町に住めなくなる」

これは、新潟県見附市(みつけし)の発信するフェイスブックに投稿された漫画『安心して感染したい』の吹き出しの言葉です。描いたのは、見附市で手描き広告などを手がける村上徹さんです。市の公式レポーターとして週に一度作品を投稿しています。日頃、幅広い世代の人と交流することが多いという村上さんは、新型コロナウイルスの話題が出ると、漫画のセリフのような言葉をよく聞きました。そして、自分でも、最初の漫画の4コマはイライラしながら描いたというのです。イライラしたのは、漫画のように感染を怖がり、感染した人を責めてしまう気持ちが自分の中にもあると気づいたからだそうです。しかし、この漫画には続きがあります。

誰もが感染する可能性がある中で、こんな話を聞くと「噂するのも、村八分にするのも、後ろ指さすのも、陰口をたたくのもウイルスじゃない。この『人』なんだよなぁ」と、思う。見附市に住んでいる人として互いを思いあう温かい「ひと」でありたいと思う。

村上さんは、うつる、うつらないだけで、ここまで僕らは残酷になったり、自分が残酷であることに気づかない。お互いに怖がって、お互いを攻撃しあうのはおかしい。だったら、もっとお互いいたわりあって、かぜを引いたときと同じように、“新型コロナひいちゃったんだ、大変だったよ、ごめんね。”“いや謝ることはないよ。”と普通に会話ができたらいいといわれています。

『安心して感染したい』というタイトルには、いまだ感染者が一人も出ていない見附市で、もしも一人目の感染者になったとしても「大丈夫」という思いを込めています。

この漫画が掲載されたフェイスブックは多くの人に共有され『心のモヤモヤした部分が言葉になっていてうれしかった』など、たくさんのコメントも寄せられています。みんな怖いし、みんなこうなりたくないし、みんなで今とは違う方向に行こうぜという提案にも賛成してくれる人がたくさんいたから、ここまで広がったと思うと村上さんはおっしゃっています。

皆さんもそんな産高になったらいいと思いませんか。そして、まだまだ先行きは不透明ですが、2学期も前向きに学校生活を送りましよう。

校長通信第51号

縁を生かす

夏休み中の面談や進路指導、部活動指導等お疲れ様でした。致知出版社の「心に響く小さな5つの物語」に、皆さんに読んでほしい文章があったので紹介します。

その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録には先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」三年生の後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう」先生の胸に激しい痛みが走った。駄目と決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」少年は初めて笑顔を見せた。それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげたとき、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で一人本を読んでいた少年は、気が付くと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!きょうはすてきなクリスマスだ」

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」それから六年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。十年を経て、またカードが来た。そこには先生と出会えた事への感謝と父に叩かれた経験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救ってくださった先生を、神様の用意感じました。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生と時に担任してくださった先生です」

そして1年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行、書き添えられてていた。