令和2年11月21日「尼崎ラウンドテーブル」参加

関西国際大学尼崎キャンパスにおいて、創造科学科5期生(1年)4名が、関西国際大学高大連携センター主催「尼崎ラウンドテーブル」に参加した。「希望はどこから生まれるのか」というテーマについて、関西の50名ほどの高校生が対面で、オンラインで同じく約50名が対話した。

〈生徒感想〉

今回、尼崎で行われたラウンドテーブルに参加した。テーマは「希望はどこから生まれるか」だった。ラウンドテーブルでは、一つのテーマについて、複数のグループに分かれて、教師1人と、生徒3、4人で話し合い、発表するものだった。僕のいたグループでは、教師の方と生徒で希望を感じる時の意見が異なった。生徒は、「何かを達成しそうな時」や「自分にできないことを見つけて、取り組む時」、「伸びしろを感じた時」。教師の方は、「誰かに頼られた時」だった。生徒側の意見は、「自分」に関してのものが多く、偏っていた。教師の方の意見は、「誰か」と関わっているものだった。僕はこれに関し、生徒はまだ、自分のことで手一杯で自分のことを高め、成長させるものが希望と感じ、教師の方のように年齢を重ねるうちに、人と多く関わり、自分でできることを覚えて、限界を見つけて、その中で希望を探しているのだと思った。二度のグループセッションと全体発表を経て、結論として、夢は大きく持つもので、そこまでの過程として持つのが希望という結論になった。このラウンドテーブルを経験して、希望とは何か、ということを普段考えない位考えた。答えはないと思う。今回の参加を経て、普段の話し合いや意見を考えるときに、更に深く考えるようにしたい。

今回のラウンドテーブルでな一番大きな収穫は、他人と話すことで、自分では考えもしなかった意見を取り入れることができるということに気づいたことだ。僕たちの班では「希望とはプラスの存在なのか」について対話を行った。最初にこの問いを聞いた時、何を当たり前のことを言っているんだと思ったが、話し合ううちに希望に対する考え方が大きく変わった。例えばライバルがいたとして、ライバルが希望を抱き日々成長している中で、自分はうまく希望を見出すことができずに止まってしまっていたとする。この時自分は、このままで大丈夫だろうかという不安を抱くだろう。他にも、理想を実現するために希望を持って努力したのにもか変わらずうまくいかなかったとする。希望は自分に絶望という形でふりかかってくる。つまり希望は環境次第でその形を変えるということ。何色にも染まれるということ。この結論にたどり着いた時、希の色は虹色であるとおっしゃったかたの意見の意味が分かった気がしてスッキリした。

今回のディスカッションからこんなことを考えた。①希望を考えるには対義語っぽい絶望を考えてその逆を攻めていけば良いのではないか。②絶望したときは人に相談する。あえて自分と考えの違う人に相談する。③考えが同じ人が集まってなにかプロジェクトを進めるより違う人が集まっている方が難しいが得るものが大きい。④自分と考えの違う人と話すときは自分の考えを主張する前に相手の立場に立って相手の考えについて考慮すれば互いに理解しあってことを進められる。この④について聞いたことはあったがこれが希望の対話から出てくるとは思わなくてディスカッションは面白いと思った。 尼崎でのイベントということで勢いだけで参加したにも関わらずとても有意義な時間を過ごすことができたように感じた。「希望」というとてもアバウトなテーマだったが、対話を通じて他人と感性が異なる部分も知れたし、逆に共通点も見えた。普段から哲学は好きなので、楽しく話し合いができた。他校の学生との交流というこの時期では難しい事もできたので、とてもいい経験になったと思う。

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