第50回卒業証書授与式 式辞

式    辞

 春の息吹漲る六甲山脈、瀬戸内に広がる希望の光。今日ここにPTA会長様をはじめ、保護者の皆様の御臨席を賜り、兵庫県立西宮北高等学校 第五十回卒業証書授与式を挙行できますことは、本校にとりまして格別の慶びであり、衷心より厚く御礼申し上げます。

ただ今、卒業証書を授与しました五十回生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。雨の日も風の日も、そして雪降る中もこの学び舎に通い続け、本校の全ての課程を修了して、ここにめでたく卒業証書を手にされました。この三年間苦楽を共にし、支え合い励まし合った友との日々が今、走馬灯のように次々と脳裏に浮かんでは消えていることでしょう。また、保護者の皆様には、三年前本校に入学されたお子様がこのように立派に成長した姿を前にして、今溢れる思いで一杯のことと存じます。高校時代は心身共に大きく成長を遂げる時期であると同時に、誰にとっても感情の起伏が激しく、好奇心旺盛な時期でもあり、子育ての中で多くの御苦労があったことと拝察いたします。そのご苦労が実り、本日晴れて卒業の日を迎えられましたこと、教職員を代表し心よりお祝いを申し上げます。

 さて、卒業生の皆さん、君たちの高校生活は新型コロナウイルス感染症との闘いの三年間でもありました。第五十回入学式は縮小しての実施という異例の事態になりました。通学での学校生活がスタートしたのはそれから約二ヶ月後のことであり、入学当初からマスクを着用し、友人や先生の顔も十分に認識できない生活、それは今も続いています。春季生活訓練合宿をはじめ、北高祭などの学校行事はやむなく中止や縮小開催となり、部活動では練習だけでなく、大会試合も制限されました。私は、昨年四月に本校に赴任しましたが、当時再々延期となっていた五十回生の冬季生活訓練合宿が目前に迫っていました。第六波がまだ終息していない時期で「果たして実施できるのか」という不安が校内に広がっていました。そのような状況で、何とか感染者を一人も出さずに実施することができ、しかも一人一人の自覚や学年の結束力を高める素晴らしい生活訓練合宿となったのは、「生徒を何としても連れて行ってやりたい」と願う第三学年の教師たちと、「何としても行きたい」と願う生徒達の執念の賜物であったと感じています。最終学年での北高祭では、これまでの抑圧を払拭するかのような集中力とモチベーションの高さで、芸術性の高い演劇を披露してくれました。一年生の時には北高祭が中止となり三年生の演劇を鑑賞することができませんでした。本校の一つの伝統が消えて無くなるのではないかと危惧もされましたが、二年生で見た先輩達の演技、演劇をモデルにして見事に本校の伝統を受け継いでくれたと感じました。六クラス全ての演劇の質の高さに、どのクラスを選ぼうかと審査員として困ったことも良い思い出です。学業では、授業に加え早朝や放課後補習、そして職員室前ピロティで、暑い夏の日も寒い冬の日も毎日勉強していた君たち本当によく頑張っていたし、今もまだ頑張っている人がいます。こうした困難を乗り越えて高校生活を楽しもう、成長しようと努力し続け、今日ここに卒業の日を迎えた君たちに心から敬意を表します。そして、たくましく心豊かに成長した皆さんが、この先どんな障壁に阻まれようとも、互いに支え合いながらそれを乗り越え、自己の未来を切り開いていくであろうと私は確信しています。

 いよいよ新たな旅立ちの瞬間がやってきました。この輝かしい門出にあたり、私の願いとするところの二点を述べて、餞といたします。

その第一は、「生涯をかけて学び続ける」ということです。なぜ学び続けるのか?よりよい収入を得るためですか?自分自身の興味関心を満たすためですか?それもあるでしょう。「学ぶ」ということについては多くの先人や哲学者が語っていますが、私は「学ぶ」ということについてこう考えています。「医学を学ぶのであっても、経済学や文学を学ぶのであっても、その学問の探究を通して、人間が、そして自分自身がどういう存在なのか、社会との関係性の中でどう生きるべきなのかということを常に自分自身に問い続け、学び続けること」これが学びの本質であると。君たちがこれから進む道は千差万別です。進学の先には就職もあるでしょう。もしかして、結婚して子どもができ育児を学ぶかもれませんし、親の介護で未知の経験をするかも知れません。これらも貴重な人生の学びです。君たちには、「人間が、そして自分自身がどういう存在なのか、社会との関係性の中でどう生きるべきなのか」について生涯をかけて学び続けてほしいと願います。

 第二には、「君たちがこれから進む世界で、もっと多くの他者ともっと多くの対話を重ねてほしい」ということです。それは、相手を自分の思い通りに動かすためでもなく、ただ単に他者と親しくなるための軽いコミュニケーションでもありません。フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスは、「自分とは根本的に異なる他者を受け入れて、他者の痛みに責任をもつとき、自分という存在は無限へと開かれ、真に倫理的な主体となる」と説きました。自分とは異なる他者と向き合い何度も何度も対話を重ね、対応しようと挑戦し続けることが重要であると。他者の痛みに目を向けることはとてもしんどいことです。しかし、自分を自分の殻から広い世界へと開き、成長させてくれるのは、自分とは価値観も意見も異なる他者との徹底的な対話なのです。あなたが進んだ先で、より多くの人と多くの対話を重ねてほしいと願います。また、君たちの中には北高在学中にも、ボランティア活動や地域貢献活動に参加してくれた人がたくさんいますが、こうした活動は、ただ単に困っている人の痛みや苦しみに寄り添うということに留まるものではなく、他者の苦しみや痛みに責任を持って行動することが、自分自身の殻を壊し、自分自身をもっと大きな世界へと導いてくれるものであるということを知っていてほしいと思います。

 この数年間、世界は激しく変動しています。気候変動による自然災害、急激なグローバル化とその反動による反グローバリズム。そしてコンピューターや人工知能の発達など、これからも世界は更に大きく変わっていくでしょう。こうした社会であるからこそ、「生涯をかけて学び続ける」ということ、「多くの他者と多くの対話を重ねる」ことで、自分自身をしっかりと見極め、確固たる自分を創り出していってほしいと願います。皆さんの前途に幸多からんことを心から願います。

 終わりにあたり、保護者の皆様、私たち職員一同皆様とともに手を携えて、一人ひとりの成長を支えたいと努力し全力を尽くしてまいりました。改めてこれまでのご協力に感謝申し上げるとともに、今後とも本校教育の発展のためにご理解とご支援を賜りますことをお願いし、併せて皆様のご多幸、ご発展を祈念いたしまして式辞といたします。

      令和五年二月二十八日

                            兵庫県立西宮北高等学校長

                               宮 本 美 枝 子

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