北高 校長室から 305 「北高校長室から」最終回

本日3月31日を最後に、私は神戸北高校を去ります。

喜んで去るわけではなく、複雑な気持ちがあります。でも、少し前から、「北高は『自分のもの』ではない」(し、いつまでも好きなだけいれるわけではないのだ)と自分に言い聞かせてきました。

*今日撮影した校門そばの桜。例年より約1週間早い開花?と思われるこのきれいな桜は、少しは私の寂しい気持ちへの慰めとなりました。


機動力が高い自慢の教職員集団と「かわいい」北高生たち(私にとって北高生は「かわいい」のみ)に恵まれて、本当に幸せな2年間でした。本当に神戸北高でよかった。

私たち管理職は、行き先について自分の希望を述べることなどはできず、全て県教委が決めるわけですが、今となっては、彼らは2年前、よく私を神戸北高校に配置してくれたものだと思います。この点、県教育委員会教職員課に感謝しかありません。

県立学校の校長(や教頭)は、大多数が2年で異動します。次には3年。1年のみや4年以上は極めて特例的です。私の場合は最初から2年だと思っていたので、時間に限りがありました。だから、最初から「飛ばしぎみ」だったかも知れませんが、それでも、いくつかのことはできたかと思います。

■タイ王国との交流を始めた
これは「念願」でありました。「来ていきなり」でしたが、成功しました。でも、今年度は、コロナ禍のために望むべくもない状態になりましたが、コロナ禍の終息とともに必ず再開するように申し送りしています

■「ウェブ」に全力を注いだ
北高のサイト(=ホームページ)や、このブログ、YouTube や Twitter など、全て北高の広報のため、刷新したり、新たに始めたり。お陰さまで、ホームページやこのブログなどは、一定の評価をいただけるようになった。

■印刷物「学校案内」の刷新
ウェブ関連とともに、着任早々にやりたかった二つのことのうちの一つ。

■「北高メール」など
保護者との連絡の電子化ですね。着任した年度まで契約していたメール配信システムは使い勝手が悪く、良く周知されていなかったようで加入率も大変低かった。ので、私がよく知っている業者に乗り換えた。ちょうど去年の4月から加入のお願いを始めたのだが、コロナ禍による臨時休校期間には、(加入率も激増し)極めて大きな役割を果たした。よく乗り換えを進めていたことだと思った。更に、12月には「欠席・遅刻連絡システム」も導入し、今では広く利用していただいている。

■生徒用個人ロッカー
現在の北高には生徒用個人ロッカーがない。ずっと昔にはあったそうだが、いつの頃か撤去?されたのか。とにかく、あってしかるべき。私が去る直前ながら、来年の創立50周年に因んで設置されることになってよかった。同窓会様、ありがとうございます!

言い出せばほかにもありますが、いま改めて振り返ってみると、以上のようなことでしょうか…。先生方は、よくついてきたくれたものだと今になって思います。


さて、私が北高を去るについて、北高の教職員をはじめ、本当に多くの方々から祝福というのでしょうか、多大なお気遣いをいただきました。これは私的な内容になると思うし、ここで細かに書くのは適切でないこともあると思いますが、この1週間ばかりの間に本当にたくさんの花束(やプレゼント)をいただきました。

わずか1週間のうちに、こんなにたくさんいただいたのは、これまでの人生で初めてでありますが、今後も生きているうちには(笑)もうないと思われます。いただいた全ての物の写真を載せるのは、くださった方々に失礼でもありますが、きれいな花の写真は問題ないと思います。

いただいた物品の写真を載せるのは失礼で適当ではないと書きました。でも、下のように文字でいただくのは本当に感慨深いものがあります。これは、昨日30日、野球部の春の大会1回戦のあと、北高に戻ってからの集合写真です。再掲となり、ここでは顔はぼかしていますが、私を真ん中にしてくださいました。昨日のその場も感動的なものでした。

野球部父母会の皆さま、部員の皆さん、本当にありがとうございました。

再度、冒頭にも書いたように、例年よりかなり早い開花のために、私にとって最後の日である今日にも、美しい校内の桜を見ることができました。本日の桜の様子をいくらか載せます。

上の最後の写真にある、中庭の灯籠の謎(起源)を解明できなかったのは、かなり心残りです。どなたか、やってください(笑)。中庭のしだれ桜もきれいですね。

先に書いたように私は、北高のウェブ関連には全力を注ぎ、北高サイトやこのブログを自分自身で築き上げ、今の姿にしました。当然、明日からの後任は決めていますが、全てのことを今日までに引き継ぐことは、ほぼ不可能です。

そこで、教職員の了解も得て当分の間は、私は「陰で」サイトやブログをバックアップ/サポートします。いつまでも陰で関わることはできませんが、そのようにして、徐々に北高の新しい担当者にバトンタッチするつもりです。

でも、そうであっても明日からは、この北高ブログに表立って登場するわけにはいきません。つまり、私の北高ブログでの投稿は、これで最後となります。

と言いながら!
ご覧のように 299号から304号まで、まだ下書きの状態で、公開できていません。それぞれあと少しの状態なのですが、慌ただしい日々だったということで、ご容赦ください。もちろん、後付けになりますが、必ず全て完成・公開します。

最後に、皆さまとの繋がりを残しておくために(お便りやご連絡をいただけるように)、この投稿には、コメントが書けるようにしておきます。

それでは、この2年間、本当にありがとうございました!
私は神戸北高校を去っても、私の心はいつまでも神戸北高校にあります!

追伸
私の後任、とりわけ、この北高ブログは、「神戸北子」こと?(ペンネーム未確定)ある教諭が引き継ぎます。(ぼくとは違う人間なので当然)ぼくとは違った書き方になりますが、彼女はとても前向きなので、ぜひ引き続きご愛読のほど、宜しくお願いします。
前述の通り、ぼくは明日からは「オモテに出る」ことはできませんが、必要な時には、「神戸北子」を通じて、メッセージを発信したいと思います!

兵庫県立神戸北高等学校
校長 長澤 和弥

北高 校長室から 305 「北高校長室から」最終回” に対して4件のコメントがあります。

  1. 高田和美(唐櫃ふれあいのまちづくり協議会) より:

    2年間お疲れさまでした。北高愛に満ちた先生のブログはとても楽しく、毎回、楽しみにしておりました。生徒達の日々の様子から、私達も知らない唐櫃の歴史まで色々発信して頂き、新たな発見がありました。又たこ焼きのエピソードには、先生の温かいお人柄も垣間見られて、ほっこりした気持ちになったものです。お忙しい中、本当に有り難うございました。先生のご健康とますますのご活躍をお祈りしております。

    1. 校長 より:

      高田さん、過分なコメントをいただき、恐縮です。ありがとうございます。
      でも、「北高愛」と言っていただけたのは嬉しいです。なぜなら、それは私の目指したところだからです。もし、「なぜそこまでの北高愛?」と聞かれれば、私は「校長だから」と答えます。けれども、今では「校長だから」を抜きにして、私は純粋に北高や唐櫃が大好きです。
      高田さんをはじめ、唐櫃地区の皆さまには本当にお世話になりました。これほど地域との繋がりが強かった県立高校は、私にとって始めてでした。そして、最後となりました。しかし、唐櫃地区との繋がりはなくなるわけではなく、北高ブログにも何度か登場した「古寺山クラブ」でも、引き続き唐櫃周辺にやってきます。
      こちらこそ、2年間本当にありがとうございました!

  2. 外部から失礼します※川西北陵高校9回生 より:

    1991年〜1994年まで長澤先生の英語の
    授業でお世話になった者です。

    当時担任だった社会科の先生がお元気かどうか
    探している途中で先生の名前を発見し
    北高ブログを夢中で読みました

    先生のお写真を見つけることはできませんでしたが
    文章や文体から、当時と変わらない先生を
    拝見することができて懐かしさで胸が一杯に
    なりました

    おそらくもうこちらは先生は訪れることはないと
    思いますが、足跡を残したくコメントさせていただきました

    外部からの書き込み、大変失礼いたしました

    2023年5月28日

    1. 校長 より:

      長澤です。懐かしさあふれるコメント、ありがとう!

      9回生でも9組以外の人でしょうか?
      実は、29年前の3月、9回生3年9組のみんなのおかけで、私とクラスがテレビに出たことがありました。
      卒業式前日に取材に来たためもあってか、かなり感動的な画となりました。

      当時録画した動画を長い間ずっと、9組のみんなに見てもらいたくていたのですが、今年の3月に YouTube の限定公開という形で実現しました。SNS のおかげで、今でも約半数の人たちに直に連絡が取れます。ぼくが思っていた通り、みんなも懐かしく当時を思い出してくれたようでした。

      そんなことをしたあとに、元「9回生」から連絡をもらい、またまた懐かしさにひたることができました。

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