2023年度から参加させていただいているヒョーゴ・ミュージアム・サポーターズも、今年で早3年目。私は1年目の時から兵庫県立歴史博物館(以下歴博)の見学を続けている。
歴博に3度目となる2024年度の春の取材で、その時によって気になる展示品が変わるのではないかと思い、常設展示を見学していた時、鎧の展示を見て違和感を覚えた。
「鎧の色が違う…??」
ここから私の鎧への探求が始まった。歴史を勉強してきた身としては、全く知らない存在ではないが、そもそも鎧って何のため?なんでいろんな鎧があるのだろう?と気になってきた。鎧と武士の美意識について、歴博に常設されていた鎧から考えてみたい。(Written by チーニ)
鎧・兜は、戦いの時の服装。そこまでは周知の事実だろう。だが、ファッションとしても見られていたことは、どのくらいの方がご存じだろうか。兜一つでも、部位によってその武士自身のこだわりや個性等が垣間見ることができる。
こどもの日でよく飾る兜の有名どころから見てみよう。例えば上杉謙信。「日輪」と「三日月」が模られた鍬形のある鎧は「妙見信仰」による影響だという説がある。上杉謙信と言えば、で思い出せる鍬形だが、彼の信仰も見えてくるとは思わなかった。一般的に知られなくなっている要素だからこそ、こうした点も見えてくることにとてもおどろいた。
武田信玄の兜は、諏訪湖の龍神を模った鍬形や白い毛が後ろにフサフサとついているのが印象的。この兜は諏訪法性兜(すわほっしょうのかぶと)と呼ばれている。武田信玄は軍神(いくさがみ)として有名な諏訪明神を信仰していたということが有名だが、この兜からもその一面を感じることができる。また、大鎧と呼ばれる体に着ける鎧も例えば、大袖と呼ばれる部位に使う威しのデザインや色、素材によって全体の印象ががらりと変わる。
このように、生きるか死ぬかの戦場で纏う「鎧」は、武士にとっての美意識の見せ所でもあったため、性能としての「強さ」だけを求めていたのではなく、死装束としての「美しさ」も求めていたそう。
では、実際に展示されていた鎧をいくつか紹介していく。
一見黒い兜に大鎧。それに上杉謙信や武田信玄のような戦国時代に見る鎧とは少し違って、質素で侘び寂びを感じた。名前の通り、紺色の糸を使用した威で少し見えにくいが江戸時代作製された鎧だそうだ。鉄の部分が酸化してしまっているのか、赤く錆びているところも見られるため、当時の姿は鉄の鋼がどのくらい輝いていたのだろうかと考えてみると、現在見る姿とはまた違い、紺糸と鋼の色で印象が変わってくるのだろうと思うとさらに興味深く感じた。
この展示品もまた色鮮やかで金と紺のコントラストがとても良いアクセントとなっている。また、兜の上についている獅子も笑顔になっていて、かわいらしさもあると感じた。ただ、この鎧を着た武士が戦場に現れるとなると、存在感を感じるような華やかな大鎧だとも感じさせられた。戦場で使われた可能性もあるにもかかわらず、色も、質も、綺麗に保存されているのか、とても興味深い。
だが、ここで展示されている大鎧は、江戸時代中期以降に流行した復古調の大鎧で、江戸時代後期に制作され、明石藩主松平家に伝来した、とのことなので、死装束としての意識はあったかどうかは不明。それでも「美しさ」は、時代を超えて求められるもの。鞍馬寺所蔵、源義経着用と伝わる大鎧(焼失)を参考にしたと考えられる、とも歴博の名品選の紹介ページにある。
戦いが頻繁に無くとも、武士中心で社会が動くようになった時代の鎧を参考にして、「美しさ」を求めたのではないだろうか。
あるゲームを大学生になってから始め、印象に残ったキャラクターがいる。刀剣の擬人化ゲームで、戦いに向かう時、イヤリングやマニキュアをしておしゃれを意識して身支度していて、
「そんなの意味ないやろ」
と思ってしまった。
でも今考えれば、現代でも、面接や初対面の人と会う時などに、今から戦いだ!と言って渾身のオシャレを決めて挑んでいく人も少なくない、というかほとんどがそうではないだろうか。また死装束に着替えさせて綺麗にしてから葬式を行うという儀式も同じで意識なのかもしれない。
そんなことを考えると、ますます鎧の奥深さを感じた。今後も兵庫県立歴史博物館の鎧の展示を見つめ続けたい。