天を仰いで 641 伊丹諸白発祥の地

所用で県立伊丹北高等学校の近くまで行ったので、ついでに鴻池児童遊園地に立ち寄りました。ここにはかつて山中総本家がありました。戦国時代の終わりに「山陰の麒麟」山中鹿介(幸盛)の息子、山中幸元が武士を捨てて鴻池新六(直文)と名乗り、酒の行商を始めた場所です。やがて清酒を開発し、「伊丹諸白(もろはく)」として江戸でもてはやされ、大財閥鴻池の端緒を開くことになりました。

総本家の建物はありませんが、「鴻池稲荷祠碑(しひ)」という人の背丈ほどもある石碑が残っています。表には500字ほどの碑銘により、鴻池家の由来が記されています。撰文(作文)は中井履軒(りけん)という江戸後期の朱子学者です。 履軒が教えた懐徳堂は、現在の大阪大学が自ら精神のよりどころとする町人による学問所でした。

伊丹は少し歩くといたるとこに文化財や史跡があり、少しネット検索するだけでも興味が尽きないところです。日本の近世から現代には明治維新と第2次世界大戦敗戦という大きな断絶がありますが、伊丹という土地から歴史をたどると、明治も、江戸も、地続きに繋がっています。今を生きる県高生たちにもぜひ知ってほしい身近な歴史の記憶です。

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