15歳のころ。夏休みに広島の祖母の家に行った。記憶が定かではないが、法事か何かの集まりだったと思う。

 江田島にある祖母の家は、ガマの穂がいくつも突き立った畑の向こうに寂しく建っていた。祖母は知人宅の離れを間借りしていたのだが、近くの井戸からポンプくみ上げた水も潤沢で、汲み取り式のトイレと五右衛門風呂も備わっている。都会育ちの私には見慣れないものばかりで新鮮だった。祖母は夫を早くに無くし、子供たちも独立して、長らくこの家で一人暮らしをしていた。いつも朗らかで苦労話一つしなかった祖母。しかし、今から79年前、の今日、この地を原爆が襲ったのだ。

 後に母から聞かされた話では、その日は疎開のために船で神戸に向かっており、家族は被災を免れた。途中、広島を顧みると、「ムクリコクリの雲」が空を覆っているのが見えたという。

 毎年8月6日になると、祖母と母のことを思い出す。あの日のことを知っている親族はもう誰もいない。

月日がいくら流れようが、忘れてはいけないことがある。