高校生時代、授業で出会って未だ鮮烈に覚えている和歌がある。それは山上憶良が詠んだ「世の中を憂しとやさしとおもえども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」という歌だ。
当時(憶良が活躍したのは奈良時代の初め、今から1300年ほど昔)、庶民の生活が非常に厳しく、冬を越すのも大変な状況であることを、憶良は「貧窮問答歌」という長歌にしたため、その返歌としてこの歌を詠んだ。
「憂し」は「つらい」、「やさし」は「身も細るほど耐えがたい」という意味。「かね」は「できない」、「し」は強意の副助詞で、現代語にすると「この世の中をつらい、身も細るほど耐えがたいと思っても、飛び立つことはできない、鳥ではないのだから」の意。下の句を倒置にして「飛び立ちかねつ」を強めている。
なんだか救いのない、つらい内容のこの歌が、なぜ高校時代の私の心を打ったのだろうか。鬱屈し、劣等感にさいなまれている自分自身に、「逃げることはできない、扉を蹴破れ」と「檄」を飛ばされているように感じられたからだろうか。
時代を超えて人の心を動かすこのダイナミズムこそが文学の力だと思う。
