小学生の頃の私の日課は、朝刊に目を通すこと。といっても見るのはもっぱらテレビ欄。何曜日に何チャンネルで何の番組があるのか、すべて記憶していた。

 頻繁に電話するわけでもないのに、友人たちの家の電話番号ももれなく暗記していた。別に記憶力がいいわけではない。その頃の小学生はみんなそんなもんだった。

 社会人になって、携帯やスマホを持つようになると、必要なデータはすべてその中に記憶させるようになった。日常の忙しさもあって、脳の領域を広げるために、覚えておく必要のないことは、どんどん記憶の引き出しからスマホに移動した。

 最近では様々なデータがクラウドで共有されて、スマホを覗くと私の趣味嗜好に合った情報が勝手に提供される。自ずと物欲が刺激されて、購入ボタンを押してしまう。居ながらにしてすべてが完了し、翌日には商品が届く。

 便利な世の中になったものだと感心する一方で、どんどん愚かになっていく自分に気づく。脳の領域を空けるために記憶を機械に頼っていたのに、元の脳は空っぽのままで、今は機械の脳がその代わりをしている。

 SFのような話だが、チャットGPTの出現によってこの現象はより進展している。今後は記憶どころか思考までもがAIに乗っ取られていくだろう。

 人間は記憶と記憶を自分の経験値で結びつけて「知恵」をつくってきた。だから人それぞれに個性が生まれ、建設的な議論も可能であった。ビッグテータから導かれる「知恵」は「総合知」であって、個性がない。だから、強靱で柔軟な「知恵」はそこからは生まれ得ない。「総合知」を有効活用するには、それを使うための人間の「知恵」が必要なのだ。