阪神淡路大震災追悼行事

令和二年 阪神淡路大震災追悼行事講話

 おはようございます。これから少しの間お話をします。目をつむって聴いてください。

 昨年、私は一冊の本を学校の図書館に寄贈しました。題名は「阪神淡路大震災 被災した私たちの記録」。文字通り被災した人たちの体験手記を集めたものです。当時35歳だった私の書いたものも載っています。家族こそ無事だったものの、家が全壊し、私は途方に暮れていました。そんなときふと手にした新聞の「手記募集・一等賞金二十万円」の記事を私が見逃すことはありませんでした。

 25年前の1月17日の朝、阪神地域と淡路島を中心に大きな地震が起こりました。6千人以上の方が命を落とされました。数字にすると十把一絡げにまとめられた印象を持ってしまいますが、6千数百通りの別々の物語が一瞬で断絶したという事実を想像してみてください。一方で生き残った人々には「これからあなたはどう生きるか」という根源的な問いが突きつけられました。私は「決して評論家になるまい」と心に決め、熱に浮か されたように避難所で働きました。生まれて初めてのボランティアでした。

 さて手記の賞金はどうなったか。1万円、ビリの賞でした。私は賞金でその本を買えるだけ買い、作品の中に描いた人たちに配りました。もちろん両親にも贈りました。でも私の作品を読んだ母はひどく怒りました。「人様の不幸を書いてお金をもらうとは何事か!」と言うのです。喜んでもらえると思っていた私はとても驚きました。でも冷静に考えてみれば、母の言う通りでした。以降「そういうことは絶対すまい」と心に誓い、今に至ります。その後母はゆっくりと衰え、十数年後他界します。思えばこれが母に叱られた最後、そして母との別れの始まりでした。

  令和2年1月17日 

      校長  天知吾郎 

  

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