ぶらり相生第24号「古代の道 山陽道通る」

 日本の古代律令国家の大プロジェクトの一つは、全国に道路をめぐらし、30里(約16キロ)ごとに、早馬を乗り継ぐための施設=駅家(うまや)を設置することでした。
 その駅家の数は、平安時代の『延喜式』によると402といわれています。その駅家研究が最も進んでいるのが兵庫県といわれています。解明されない部分が多い駅家研究ですが、布施・野磨(やま)駅家は位置・規模が明らかになっています。山陽道の駅家は、外国使節が宿泊するため、他の駅家よりも豪奢なものが建てられたことも明らかになってきています。
 兵庫県には山陽道(山城国の山崎駅家~筑前国久爾(くに)駅家)が通り、その間に確認された駅家は11駅家です(当時廃止されていたものが2駅です)。東から葦屋・須磨・明石・邑美(おうみ)・賀古(かこ)・佐突(さつち)・草上(くさかみ)・大市(おおち)・布施・高田・野磨駅家です。
 たつの市の布施駅家(小犬丸遺跡、「驛」と墨書(ぼくしょ)された土器や「布施驛」と書かれた木片等が発見)から山道に入って相生市の二木峠を越え、相生市を通過して上郡町の高田駅家(神明寺遺跡跡の顔栄寺付近)に山陽道が通っていました。残念ながら、相生市に駅家はありませんが古代山陽道が通っていたことは上記のことで確認できます。古代の道は、真っ直ぐに造られることが多く、道幅(12m=3丈)もわれわれが想像するものより広いものです。そのような立派な古代の幹線道路が通っていたことはすごいことですね。