ぶらり相生第20号「犬塚五輪塔とは」

 五輪塔ということばを耳にすることがあると思います。しかし、具体的に何なのかはわかりにくいところもありますので紹介します。
 発祥はインドといわれ、本来舎利(遺骨)を入れる容器として使われていたといわれますが、インドや中国、朝鮮半島に遺物は存在していません。日本では平安時代末期から供養塔、供養墓として多く見られるようになります。このため現在では経典の記述に基づき、日本で考案されたものとの考えが有力です。
 次に形式について説明します。石造では、下から、地輪は方形(六面体)、水輪は球形、火輪は宝形(ほうぎょう)屋根型、風輪は半球形、空輪は宝珠型によって表されます。製作時代の確定をする判断基準の一つとして、水輪の形から、鉢形の場合は古く、つぶされた状態の場合は、新しいとされます。石材は、安山岩や花崗岩が多く使われています。古いものには凝灰岩のものが見られます。
 現在のところ、最古例は岩手県平泉釈尊院の塔で、仁安4年(1169)とされています。初期の五輪塔の普及の要因としては、高野聖(ひじり)による勧進(かんじん)の影響といわれています。五輪塔は、宗派を超えて用いられ、全国的に分布しています。南都六宗の律宗の布教地には、巨大作品が多い傾向があります。
 さて、相生市北部の西播丘陵自然公園にある犬塚五輪塔は、花崗岩製で、13世紀から14世紀にかけて鎌倉時代後期から南北朝期の作品とされています。総高172㎝で、相生市に残される五輪塔としては最大級です。相生市指定有形文化財となっています。播磨の地に伝承が多い秦河勝(はたのかわかつ)が狩りに出かけた際、二匹の猟犬のおかげで大蛇の難を逃れたことに感謝し、犬と大蛇を祭った三本卒塔婆(そとば)を建てたとの伝承があります。この三本卒塔婆の遺称地が相生市矢野町能下で、そこに犬塚五輪塔があります。
 日本中世の時代は外圧や戦乱等が多いこともあって、さまざまな信仰が生まれます。身近に残る歴史文化遺産が、なぜそこに存在するのかに思いを巡らすと、見えてくるものがあります。