ぶらり相生第9号「親子のめぐりあい 和泉式部伝説の地」

 「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな」この歌は百人一首でお馴染みのことでしょう。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙と称された和泉式部の歌です。この相生にも和泉式部の歌が残されています。
 「苔筵(むしろ)敷島の道に行きくれて雨の内にし宿る木のかげ」旅の途中雨に降られた式部が雨宿りして、このことがきっかけとなって、生き別れていた娘、小式部内侍と再会します。小式部内侍は、最初の夫であった和泉守橘道貞との間に生まれます。やがて、別離し、その後は数多くの恋愛を重ねて、藤原道長からは「浮かれ女」と呼ばれたといわれます。
 次のような伝説が、若狭野に伝わっています。
 和泉式部は、病身の昌子内親王(第63代天皇冷泉天皇中宮、在位は967(康保4)年から969(安和2)年)にお仕えしていたため、矢野荘から中央貴族のところへ出入りをしていた五郎太夫に娘を預け、養育してもらっていました。1004(寛弘元)年頃、この地に迎えに来たといわれています。その娘こそが後の小式部内侍で、一流の歌人となります。しかし、1025(万寿2)年若くして亡くなります。1026(万寿3)年、再びこの地を訪れましたが、世話をしてくれた五郎太夫は既に亡くなっていました。和泉式部は、大木を神木として奉じ二人の冥福を祈ったとされています。その後、薬師堂(写真)が建立され、薬師堂祭が今日まで年中行事としてこの地に伝承されています。
 和泉式部の伝説は、北海道から九州までの広い範囲に、数多く残されています。相生も、書写山参詣の帰途、娘の小式部を若狭野に訪ねる式部伝説の地とされています。