第65回青少年読書感想文兵庫県コンクール 兵庫県知事賞

 第65回青少年読書感想文兵庫県コンクールにおいて、本校2年生の石井あゆみさんが応募総数34,143点の中から上位1作品に選ばれ、「兵庫県知事賞」を受賞しました。

 以下に、石井さんの読書感想文を全文掲載します。

「寄り添う」 (濱野京子『この川のむこうに君がいる』理論社)
 2011年3月11日、午後2時46分三陸沖を震源としたマグニチュード9.0、震度7の巨大地震が発生。激しい揺れと押し寄せる黒い波が多くの尊い命を奪った、東日本大震災。今年3月の警察庁発表によると、死者は1万5897人、行方不明者は2533人。今も約5万2000人もの人々が故郷を離れ避難生活を送っている。そして、続いて起きた福島第一原子力発電所の事故は、国際原子力事象評価尺度(INES)で最も深刻な事故を表す「レベル7」とされている。
 本の中に広がるのは私の日常のような世界。同じ高校生だからか共感できる場面が多く、自然と本の中に入り込むことができた。気が付くと私はまるでクラスメイトの一人のように梨乃を見ていた。梨乃と遼にエールを贈りながら本を閉じ、目を閉じた私の頭の中は、ある一つの思いでいっぱいになっていく。
 寄り添う。これまでの私はできていたのだろうか。この本に出会い、梨乃や遼と出会うまでは深く考えたことはなかった。人に、心に、痛みに寄り添う。よく使われる言葉だ。言葉として書き、口に出すのは簡単だ。意味もそこに込められた思いも十分理解しているつもりでいた。しかし、その思いを行動で示し、相手の心に届けることは、実はとても難しいことのように感じ始めた。いくら思いがあっても相手に伝わらなければ、それはただの自己満足で終わってしまう気がした。
 「やさしく振る舞うことが好き」「自分をやさしく思いたいヤツ」。美湖への冷たい言葉が私の心にひっかかる。悲しんでいる人がいれば優しく接する。当たり前に信じ、心がけてきたことが、間違っていると言われているようだった。今まで私は美湖と同じことをしてきただけではないか。「寄り添う」とはどうすることなのだろう。この先、私は誰かに寄り添える人になれるのだろうか。
 数日後、私は気になる新聞記事を見つけた。2009年兵庫県西・北部豪雨で家族とともに濁流に飲まれた女性の記事だ。一人生き残った14歳の少女は自分を責め続け、10年経ち、ようやく少しずつ体験を話せるようになった。今は故郷で働く彼女だが、高校卒業後故郷を離れ、誰も水害のことを知らない町で暮らした数年間は「すごく楽だった。」と語っていた。その言葉に私はドキッとした。梨乃と同じだったからだ。梨乃は転校した中学で「かわいそうな被災者」のレッテルを貼られ、それから逃れるために誰も知り合いのいない高校へ進学した。たとえ善意であっても誰かから貼られたレッテルは、私たちが想像する以上にその人から自由を奪い、窮屈な生活を強いるのだ。これは梨乃が私に気付かせてくれたことだ。あの時流された川のほとりに10年ぶりに立ちぎこちなく微笑む彼女の写真に、梨乃を見たような気がして胸が締め付けられた。
 本に出てくるのは、東日本大震災だけではない。2014年8月の西日本集中豪雨。同年9月の御嶽山の噴火。これまでも、これからも自然は時として、突然に人の命を、生活を、容赦なく奪い去っていく。自然災害だけでなく、理不尽な事件や事故が毎日のように人々に襲いかかる。そして、なぜ?と問い続けなくてはならない人々が生まれる。
 寄り添うこと。それは「ただそばに居ること」なのかもしれない。梨乃が望んでいたのは、優しい言葉や気遣いなどではない。同情を含んだ特別な目で見られることなく、自分らしく生きられる場所だった。梨乃は自分の居場所を求めていたのだ。そして、居場所とは場所ではなく、人そのものでもある。一緒にいると心地好い人。ありのままの自分でいられる人。疲れた時には安心してそばで眠っていられる人。
 別の言い方をすれば、寄り添うとは相手にとっての居場所になることだ。相手がその時必要としている、ここに居ていいと思える、ただの場所になることだ。何も聞かず、何も言わず、ただ相手のそばに居る。
 人はみな、それぞれ違った環境や境遇の中にいる。たとえ同じような体験をしても、場所や時間、背景が違うと見える景色は違ってくる。この違いが人と人との間に流れる川なのだろう。そして、その川の向こうに大切にしたいと思う誰かを見つけた時、人は川を渡ろうとするのだろう。その人のことをもっと知り、そばに寄り添い、同じ景色が見られるようにと願いながら。
 人の悲しみや苦しみは、他の人には分からない。しかし、その深さを思いやりながらそばに居ることはできる。人の心の傷は、他の人には癒やせない。しかし、それが癒えるのを待つ居場所となることはできる。