ぶらり相生第30号「福田眉仙(びせん)」

 まだまだ暑い日が続きますが、季節は着実に変わりつつあります。相高の2学期が始まりました。9月には体育大会が予定されています。「ぶらり相生」も第30号を数えることができました。今後とも相高ともどもよろしく お願いします。
 さて、日本を代表する画家福田眉仙は、相生生まれです。本名は、周太郎です。明治8(1875)年矢野町瓜生(うりゅう)に生まれます。相生の光専寺住職の観成に可愛がられ、寺に逗留(とうりゅう)していた宮田其渓(みやたきけい)に絵の指導を受けます。明治25(1892)年、大鳥圭介(上郡町出身、西洋軍学者・外交官)の仲介で京都画壇の久保田米倦(くぼたべいせん)に学びます。明治30(1897)年東京美術学校(現東京芸術大学)で日本画家の橋本雅邦に学びます。後に、日本の美術品を再評価した岡倉天心の勧めで中国に渡り、3年をかけて中国全土の写生旅行を行います。ちょうどその頃、雅号を眉仙に改めています。
 昭和に入り、兵庫県より御大典記念衝立(ついたて)作成を依頼され、裏面に兵庫県鳥瞰図を描いています。戦後、神戸の湊川神社拝殿天井に雲龍(写真)を描いています。
 このように、日本美術史上、偉大な業績を遺した福田眉仙は、相生が生んだ偉大な芸術家です。