ぶらり相生第14号「野口 雨情の作品」

 右の写真は、相生市立図書館前の中央公園にある野口雨情詩碑です。そこには、「相生の港はなつかし港 軒の下まで船がつく 雲の蔭から雨ふり月は 濱の小舟の中のぞく」とあります。この歌詞は、「播磨港ふし」の三節と最後の十五節です。書は雨情直筆で、非常に貴重なものです。
 野口雨情は、明治15(1882)年5月、茨城県多賀郡北中郷村磯原で生まれました。雨情は、東京専門学校(現早稲田大学)英文科に入学して、坪内逍遥に師事し、三木露風らと早稲田詩社を起し新民謡を志しました。
 明治40(1907)年、北海道に渡り、石川啄木とも遭遇しています。後、水戸に戻り、大正7(1918)年、「枯れすすき」を発表しました。民謡・童謡興隆に伴い、上京し、北原白秋・西条八十らと共に多くの作品を発表しました。素朴な郷土的田園的情趣の深い「船頭小唄」「波浮の港」などに見られる孤独な哀感が、「十五夜お月さん」「青い目のお人形」などにも共通する叙情性となり、広く愛唱されるようになりました。
 さて、なぜ、相生の地に雨情の作品があるかというと、相生商工会に「相生小唄」の作詞を依頼され、昭和11(1936)年4月、相生を訪れ、『播磨港ふし』を作詩したことによります。
 著名な野口雨情の作品が、相生の地に残っていることは、誇りに思えませんか。

高校生防災サミットに参加しました

 平成29年12月10日(日)、西播磨文化会館において高校生防災サミットが開催されました。本校からは1年生5名が参加しました。
 各高校の防災体験報告で1年生男子が、挨拶運動で普段から地域の住民とコミュニケーションを円滑に進めていること、兵庫県の天然記念物シバナの保護・保全のための作業の際、地域河川の実態を目の当たりにすることによって、河川の氾濫等の防災意識を感じたこと等の本校の取組を報告しました。他校のさまざまな取組を聞くことにより、大いに刺激となりました。
 昼食として、防災食や非常食を試食しました。ワークショップに参加して、他校の生徒と意見を交換する貴重な機会を得ました。