オープンハイスクール

 8月22日(火)・23日(水)の2日間、オープンハイスクールを実施しました。2日間で中学生・保護者・中学校の教員、600名余りの方々に参加していただきました。
 オープンハイスクールは、生徒会執行部による運営・進行の下、吹奏楽部の歓迎演奏で始まりました。校長が、本校の特色や魅力、勉学・部活動で活躍する生徒の様子などを説明し、オープンハイスクールを通して本校の魅力を五感でたっぷり味わってほしいと、挨拶しました。次に、生徒会長が、本校の特徴や行事の様子、部活動の活動の様子を、映像や写真の視聴を交えながら説明しました。
 その後、50分程度、女子バレー部員・男子バレー部マネージャーによる案内で、補習授業、校舎や設備、文化部の展示などを見学してもらいました。校内見学の後は、運動部・文化部の活動を自由に見学していただいて、2日間のオープンハイスクールを終了しました。

本校生が相生市天然記念物「シバナ」の保護・保全活動に貢献

 7~8月に男子ソフトテニス・陸上・サッカー・男子バスケットボール部員が、汗だくになって相生湾の干潟を再生し、相生市天然記念物「シバナ」の保護・保全活動に貢献しました。
 相高近くの鮎帰川上流の養生池で、川砂を詰めた土嚢づくりを行いました。詳しくは、新聞掲載記事をご覧ください。

ぶらり相生第7号「戦国の相生は、どのような支配だった・・・」

 戦国時代は、歴史上人気のある時代で、NHK大河ドラマをみても戦国時代か幕末・明治維新期を題材にしたものが圧倒的です。時代が大きく変貌していく様は誰しも興味をそそられるからかもしれません。
 さて、相生市域は誰によって支配されていたのでしょうか。戦国時代を終焉させる天下布武を唱える織田信長の時代、浦上宗景(むねかげ)は、天正4(1576)年宇喜多直家に敗れ、事実上滅亡します。赤穂郡一帯の支配も、宇喜多氏の手中に帰したとみられます。宇喜多直家は、天正7(1579)年毛利方から寝返って織田方につき、赤穂・佐用2郡を安堵されます。天正14(1586)年、尾張国小折村出身の生駒親正(ちかまさ)に赤穂6万石が与えられ、相生市域もこの中に含まれたものと思われます。その生駒氏は翌年には讃岐国高松6万1千石じ、そのあと、赤穂郡は再び宇喜多秀家の所領となります。
 ちなみに宇喜多秀家といえば、秀吉の信任厚く、四国平定、九州平定、小田原平定など全てに参戦し、朝鮮の役にも出陣、岡山57万4千石の城主となり、秀吉晩年には五大老の一人として、豊臣政権の重鎮となったことで有名です。しかし、慶長5(1600)年関ヶ原の戦いでは西軍の首脳の一人となって大敗し、八丈島へ配流され、宇喜多氏は断絶することになってしまいます。
 この宇喜多氏統治時代の相生市域は、直家の弟忠家に矢野荘のうち那波4カ村、宇喜多氏重臣岡豊前守に上矢野・下矢野が与えられています。この岡豊前守は、市域の下土井城(若狭野町下土井)の城主と伝えられます。岡氏は、矢野荘を本拠に、国人としてしだいに成長し、宇喜多家の重臣となった可能性があります。

 歴史の大変動期、この相生にも時代のうねりが押し寄せていたことがわかります。

ぶらり相生第6号「大日本輿地全図の作成を企画した伊能忠敬(ただたか)一行も相生を訪れていた」

 今回は、50歳から大好きな地図の測量を猛勉強し、ついには73歳で「大日本沿海輿地全図」の測量(残念ながら地図作成作業途中で亡くなる)を完成させた伊能忠敬に関する“ぶらり”です。

 忠敬(源六―三郎右衛門―伊能三郎右衛門忠敬)が、暦学を本格的に学び始めたのが、寛政12(1800)年です。世の中は、北海道根室にロシア人ラクスマンが現れたり、世界的な潮流に日本が巻き込まれようとしている時代です。ちなみに、忠敬の名前は、当時の大学頭林鳳谷から名付けられています。
 忠敬は、宝暦12(1762)年に、酒造家の伊能家に婿入りし、酒造・醤油・貸金業まで事業を順調に拡大していきます。寛政6(1794)年隠居願いを申し出、地頭所が受理し(何度も却下されている)、ようやくのことで暦学の勉強を本格的に始めることができます。忠敬50歳の時で、江戸に出向き、時の天文方高橋至時(当時31歳)の弟子になります。着々と頭角を現し、全国の測量に携われようになります。
 さて、測量は第十次にわたって幕府直轄事業として展開されます。相生には、第五次測量で訪れます。時は、文化2(1805)年、忠敬60歳の時です。

 行程について、伊能忠敬一行は、室津から相生浦までの海岸線を、高橋善助(至時の孫)一行は山を越えて相生浦まで、さらに那波村までを測量しました。当時の相生の中心地は、現在の旭地区の北の那波村と相生村でした。余談になりますが、高橋善助の父景保は、有名なシーボルト事件に関わったとして獄死します。
 相生は、歴史の転換期に関わる人物とクロスする町なんですね。

オーストラリア国際交流研修団(最終日) 香港到着

 シドニーを現地時間14:10(日本時間プラス1時間)に出発したキャセイパシフィック航空100便は、9時間のフライトの後、現地時間21:04(日本時間マイナス1時間)に香港に到着しました。行きのフライトは揺れがひどく酔ってしまった生徒が多かったのですが、帰りは揺れも少なく快適なフライトでした。機内では映画やテレビゲームを楽しんだり、宿題をしていた生徒もいました。
 今回、香港でのトランジットには約4時間の余裕があり、軽食を食べたり買い物をしたりして過ごし(空港内では日本円やオーストラリアドルが使えますが、お釣りは香港ドルで支払われます)、少しだけ香港滞在を楽しみました。疲れがでたのかベンチで居眠りの生徒もちらほら・・・・・CX566便は、現地時間の1:45に関西空港に向けて出発します。相生駅でのお迎えをよろしくお願いします。なお到着予定時刻については、随時、このブログでおしらせします。

オーストラリア国際交流研修団(第13日) Good bye Australia!

 いよいよホストファミリーとお別れの日がやってきました。早朝にもかかわらず、沢山のホストファミリーが見送りに来てくださいました。思わず涙が止まらくなる生徒もいました。

 その後、シドニー空港へ。予定よりも少し早く着いたので、チェックインはスムーズに進みました。ただ気になるのはスーツケースの重量オーバー。お土産がいっぱい入ったスーツケース。とても不安でしたが、何とか無事にチェックインすることができました。
 次に出国審査ですが、シドニー空港では、係官が一人一人パスポートをチェックするのでは無く、自動改札機のようになっており、出国は非常に簡単です。しかし、手荷物検査が非常に厳しく、何人かの生徒はバッグだけでなく身体検査までされ、ようやく出国することができ、現在は搭乗口で出発を待ちながら、シドニーでの最後のお買い物を楽しんでいます。

自然科学コース体験入学

 8月4日(金)、9時30分から12時10分まで、自然科学コース体験入学を行いました。第4学区の中学生90名、保護者45名、引率の先生4名、計139名の皆様に出席して頂きました。生徒会執行部の生徒による学校紹介、自然科学コースの生徒によるコースの学習、行事等の紹介の後、中学生に各自の希望にそって、実験や学習を体験してもらいました。

 A班「-196℃の世界(化学分野)」では、液体窒素によるバラの花やバナナなどが瞬時に凍る物質の「状態変化」の様子に驚きの歓声を上げていました。

 B班「ふっくらパンのできるわけ?(生物分野)」では、キューネ発酵管を使ったアルコール発酵の様子を実際に見ながら、楽しく授業を受けていました。

 E班「数学の世界(数学分野)」では、2進法の考え方について講義を受け、問題に挑戦する真剣な表情が印象的でした。

 わずか50分の体験学習でしたが、物質や現象への好奇の目、研究する喜び、考える楽しさなどを実感してもらえたと思います。
 生徒が主体となった説明や体験学習、そして文化部の作品展示や部活動見学を経て、1年間の学校生活、コース独自の学習や取組について、中学生だけでなく、保護者の方々にも理解を深めて頂けたものと思います。